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「海上保安の日」と「海上保安レポート2012」

先日12日は「海上保安の日」だった。以前の海上保安庁開庁記念日である。

海上保安庁発足(1948)

1948年(昭和23)5月1日、海上保安庁が運輸省(現在は国土交通省に統合)の外局として開庁しました。そして12日に、初代長官大久保武雄(1903-1996)の手で庁旗が掲揚されたのですが、海上保安庁では発足した1日ではなく、この庁旗が掲揚された12日を開庁記念日として祝ってきており、それにちなんで海上保安の日も5月12日になっています。

昨年は震災対応で関連イベントどころではなかったが、今年は各地で開催されている。

操舵室に歓声 高松「海上保安の日」 市民ら体験航海

 「海上保安の日」の12日、高松海上保安部(高松市)は、海の安全と環境を守る業務への理解を深めてもらおうと、市民らを招いた巡視艇の体験航海を開いた。家族連れらが操舵(そうだ)室を見学し、瀬戸内海の島々を眺めながら約1時間の高松沖の船旅を楽しんだ。

 海上保安の日は、昭和23年5月に海上保安庁が創設されたことにちなみ、平成12年に制定。この日に合わせ、保安部の役割や活動をPRする記念行事を行っている。

 体験航海は2回行われ、約100人が参加。高松港で同保安部所属の巡視艇「くりなみ」(113トン)、「ことなみ」(64トン)の2隻に乗船した。

海保の日友ヶ島灯台公開 紀淡海峡の道しるべに160人

「海上保安の日」の12日、和歌山市加太沖友ヶ島の「友ヶ島灯台」が一般公開された。訪れた約160人は、日頃は入ることの出来ない建物の内部や灯火を興味深そうに見て回っていた。

 友ヶ島灯台は、四つの島からなる友ヶ島の中で最も大きな沖ノ島の西端にある。1872年(明治5年)に建設されてから140年となり、紀淡海峡の道しるべの役割を果たしている。

 訪れた人たちは、灯台内部にある幅約40センチ、高さ約2メートルの鉄製のはしご2本を登り、踊り場から見える淡路島など紀伊水道の景色を堪能。灯台前では、日付などが入った参観記念証を受け取ったり、海上保安庁の制服を着て記念写真を撮ったりしていた。

今年は、観閲式及び総合訓練も無事行われるだろう。

海上保安庁、観閲式および総合訓練の一般公募 - 6月実施

海上保安庁では、「海上保安の日(5月12日)」記念行事の一環として6月2日(土)と3日(日)に、東京湾羽田沖で海上保安庁観閲式及び総合訓練を実施する。巡視船艇や航空機によるパレード、海難救助訓練など、「通常では目にする機会の少ない海上保安庁の業務をより多くの方にご理解いただくため」として、同庁では両日合わせて2000人を一般公募により招待する。

平成24年度海上保安庁観閲式及び総合訓練の実施について

今年の諸外国からのゲストは何になるのか期待される。おととしはUSCGからHC-130が参加した。2010年には中国の海巡21が来日したが、その後、尖閣諸島での衝突を経て日中関係が悪化、今年の参加はあまり考えられない。個人的にはUSCGのバーソルフ級カッターの参加を期待したいのだが・・・


そうした「海上保安の日」だが、被災地ではこの日も捜索活動が続けられていた。

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福島県南相馬市沖で捜索を行う海上保安庁の巡視船(左)(12日午後)=菅野靖撮影

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tag : 海上保安庁 領海警備 東日本大震災

2012-05-15 : 海上保安庁 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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この国にはユメもキボーもありゃしない。新規採用と給与の削減

先日、海上保安大学校の練習船「こじま」が遠洋航海に出港した。

練習船「こじま」が遠洋航海へ出港

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 海上保安大学校の練習船「こじま」(2950総トン、藤井康志船長ら乗組員43人)が7日、呉市若葉町の同校桟橋から世界一周の遠洋航海に出港。在校生や家族、地元の園児らが帽子を振るなどして見送った。船舶運航の実技習得と国際感覚を養うため、専攻科実習生ら41人が乗船。太平洋を横断し、地中海、インド洋を経て8月11日に帰港予定だ。瓜生晴彦校長は出港式で「東日本大震災で各国から寄せられた支援への感謝の気持ちや、復興に向け着実に前進していることを伝え、役目を果たしてきてほしい」と激励した。


航海技術習得へ練習船出航

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 呉市の海上保安大学校の練習船こじま(2950トン)が7日、97日間、約4万7千キロに及ぶ世界一周の航海実習に出発した。3月に本科を卒業した実習生37人や選抜された海上保安官4人が航海技術などを学ぶ。

 出港式では、瓜生晴彦学校長が「知識・技能の一層の習得と指揮統率力の涵養(かんよう)に努め、国際人として成長も図ってほしい」と激励。実習生代表の天野優香さん(22)が「国民に信頼される海上保安官になるための素養を高めたい」とあいさつした。

学校長の激励の中で東日本大震災に触れているが、実は海保大・本科専攻科学生の中にははその被災地に赴いていた者もいる。もちろん卒業前なので実務・実際の救援活動ではない。日本財団と学生団体が行ったボランティア活動だ。

東日本大震災における学生ボランティア参加(平成23年4月29日~5月3日)
東日本大震災における学生ボランティア参加(平成23年6月3日~6月7日)
専攻科 東日本大震災復興ボランティア参加(平成23年8月29日)

【ボランティア 被災地通信】Vol.1 規律ある海上保安大学校生
学生ボランティア その1-日本財団会長 笹川陽平ブログまた、海上保安学校からもボランティアへの参加があった。

被災地でボランティア、海保学生が活動報告 舞鶴

ちなみに、このボランティア活動によってほかの大学・高校等から来た学生にも海上保安体操が広まっていったという。

今回遠洋航海に出た学生の中には卒業後、被災地へと配属される海上保安官もいることだろう。
震災は海保にとって被害と苦難を与えただけではない。

海上保安学校では受験者数が過去最多となった。一時期の海猿ブームでも見られなかった現象である。

海上保安学校、受験者最多…震災で「役立ちたい」

 海上保安官を養成する海上保安学校の今年度秋採用試験の受験者数が約6800人と過去最多になったことが、海上保安庁のまとめでわかった。

 なかでも第3管区海上保安本部(3管)が管轄する自治体の受験者数はほぼ倍増しており、公務員人気に加え、東日本大震災で海保の活動が関心を集めたと見られる。

 同庁によると、採用試験は全国11管区の海上保安部が所在している都市で行われる。2011年度秋採用試験の受験者数は6812人で前年度比15%増加。うち3管の保安部が置かれている東京都と横浜・静岡両市は981人で同91%増の最大の伸びとなった。

 3管人事課によると、採用試験の面接で「震災で、人の役に立ちたいと思った」と志望理由を語る受験者もいるという。

震災が、受験希望者に新たな決意を与えたともいえる。

入学生の中にはこうした固い意志を持った者が数多くいると信じたい。

海上保安学校:入学式 女子46人、過去最多--舞鶴 /京都

 舞鶴市長浜の海上保安学校で13日、4月期の入学式が行われた。船舶運航システム、航空、情報システム、海洋科学の4課程の計194人が海上保安官としての第一歩を踏み出した。女子学生の入学は過去最高の46人。

 新入生らは在校生と共に校門前の桜の下を分列行進し、来賓や保護者に晴れ姿を披露した。

就職難からの公務員志向・安定志向の結果だという声もあるが必ずしもそうではない。実際に今回、入学した若者の中には津波で父親を亡くした震災遺児も含まれるのだ。

「海で命救う」海保目指す 震災遺児、ロスで支援訴え

 東日本大震災の津波で父親を亡くし、今春、宮城県の高校を卒業してあしなが育英会の支援で進学予定の男女2人が13日、ロサンゼルスで開かれた大震災の追悼行事で震災遺児への継続的な支援を呼び掛けた。

 同県美里町の佐藤大地さん(18)の父親、直さん=当時(51)=は地震直後に仙台市内の老人ホームで避難を手伝った後で津波に襲われ、10日後に遺体で見つかった。

 佐藤さんは海で働くことを意識するようになり、4月に海上保安学校(京都府舞鶴市)に入学予定。将来は、厳しい訓練を経た潜水士らが所属する特殊救難隊を目指す。



3.11東日本大震災1周年 ―津波遺児支援のための一年間の歩み―

佐藤君は今春、海上保安大学校に入学して救命ダイバーを目指して勉強しています。父親を奪った海に立ち向かい、将来また津波が日本を襲ったとき、犠牲になった人たちの遺体を一体でも多く捜し出して、家族の元に反してあげたいという思いから猛勉強して、10倍の難関を突破して入学を果たしました。


メディアではほとんど大きく報じられていない被災地での海上保安庁の活動だが、現地ではその懸命な姿が焼き付けられているのだろう。

一方で、この国の政治家にその姿は届いていない。

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tag : 海上保安庁 練習船 「こじま」 東日本大震災

2012-05-12 : 海上保安庁 : コメント : 8 : トラックバック : 0
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一年と2ヶ月が過ぎた被災地における海保の活動

日本を襲ったあの災害から既に1年と二カ月が経過した。被災地から離れた地に住む人々の関心は薄れ、もっぱら原発・電力問題や放射能汚染問題ばかりがメディアを賑わせている。

だが、現地では今もあきらめずに捜索を続ける人々がいた。警察と海保である。

震災不明者を一斉捜索 宮古署と海保合同で

 宮古署と宮古海上保安署などは9日、合同で震災の行方不明者の一斉捜索を行った。震災発生から1年2カ月となる11日を前に、参加者は宮古、山田両市町の海上と陸上で遺品や遺骨を捜した。
 捜索場所は陸上が同市重茂地区と同町船越地区、海上が宮古湾、同市重茂地区、船越湾。同町船越では、地元の交番所員ら計10人が海岸沿いの岸壁や沢周辺を調査したり、とび口を使って砂の中や山林を捜した。

 同日は同市重茂の砂浜や山林で骨のようなもの十数本が見つかった。人のものと分かればDNA鑑定する。

  宮古署管内では1日現在、250人が行方不明となっており、昨年9月15日に同町で発見されて以来、遺体は見つかってない。



震災不明者を宮城沿岸で集中捜索 海上保安部

 東日本大震災発生から1年2カ月となった11日、宮城海上保安部は宮城県内の沿岸で、行方不明者を約110人態勢で集中捜索した。警察庁によると、県内の行方不明者は9日現在で1581人。
 捜索には巡視船などが出動。浅瀬ではゴムボートを使うほか、ソナーで海底に車などが沈んでいないか確認した。
 石巻市十八成浜では巡視船まつしまの乗組員35人がゴムボート2隻と警備救難艇1隻で湾内を捜索。気仙沼湾などでも実施され、飛行機やヘリコプターで空からも捜した。〔共同〕


震災不明者を集中捜索 宮城沿岸、110人態勢

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ゴムボートで行方不明者を捜索する宮城海上保安部の職員
=11日午前、宮城県石巻市十八成浜


震災から1年2か月、宮城で不明者集中捜索

 11日の集中捜索は、石巻や気仙沼など県内6つの海域で110人が参加して行われた。このうち石巻市十八成浜では、海中探査用のソナーをつけたゴムボートに隊員が乗り込み、漁港付近の海中を調べた。

 8日に県が公表した死者は関連死も含めて1万162人、行方不明者は1581人となっていて、宮城海上保安部は今後も毎月11日に集中捜索を行うことにしている。(05/11 23:36)


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巡視船「まつしま」は「あの日」洋上にて津波に遭遇し、その時に撮影された映像は世界中を駆け巡った。上記写真に写っているRHIB/GB(PL126-M3)と動画の高速警備救難艇(PL126-M1)は巡視船「まつしま」搭載艇である。動画ではRHIB/GBに搭載されたソーナーの様子がよくわかる(座席の本体表示部と船首のセンサー部)。ソーナーは、以前当ブログで掲載したHDSのようだ。

関連エントリ:今年最後の大捜索、ソナーと水中ロボットROVも投入。しかし・・・

「しれとこ」型は順次更新されており残り少なくなってきた。同型に所属する「まつしま」も解役される日は近いだろう。震災不明者の捜索が最後の大仕事、奉公となるのではないだろうか。

大震災1年2か月 行方不明者の集中捜索

このうち釜石港では警察官と海上保安官あわせておよそ80人が出動式を行い、湾内には巡視船が出て、潜水士6人が深さ16メートルほどの海に向かいました。きょうは波が高く海中の視界も悪い中での捜索となりましたが潜水士たちは何とか不明者の手がかりを見つけようと潜水を繰り返しました。巡視船きたかみの宮本順之船長は「我々海上保安庁としては引き続き行方不明者をご家族の元へ早く戻したいと考え、一所懸命我々にできることを今後もずっと続けていきたい」と話していました。

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上記ニュース映像で写っているオレンジ色のボートは巡視船「くりこま」の潜水支援艇(PL06-M1)だ。同船は当直のみの停泊時に津波が襲来、そのまま流され座礁した。船底などの損傷は厳しかったが、長い修繕工事から復旧し今ではこうして捜索作業に当たっている。くりこま潜水班は本船が被災し運用不能となっても被災直後から捜索救援活動を実施していた。

巡視船「きたかみ」(PM02)は地震発生とともに緊急出港するも、釜石湾内で津波に遭遇。懸命の操船で切り抜けた。その時の緊迫した船内のやりとりも映像に残されている。同船も「まつしま」と船齢が近いため解役は、そう遠くない。

東日本大震災:釜石、大槌湾内で行方不明者を集中捜索

 釜石港で全員が海上を向いて犠牲者に黙とうをささげた後、湾内の沿岸部や河川などを陸と海から捜索した。釜石海保は巡視艇を出し、宮城海保から出向の潜水士チームも加わった。釜石市の公共ふ頭近くの海底を捜索した潜水士の小野寺真人さん(26)は「視界は約1メートルと良好とはいえないが、行方不明者をなんとか見つけ、お帰ししたいという気持ちです」と話した。捜索で、運転席がつぶれた状態の車を発見、車検証を引き上げた。

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岩手県警釜石署と釜石海上保安部により、実施された東日本大震災・行方不明者の合同集中捜索を前に、
海上に向けて黙とうをする捜索員ら=岩手県釜石市港町の釜石港官庁専用桟橋で2012年5月11日、高尾具成撮影



海保と警察の捜索活動は、震災から1年を機に各地で順次実施されている。先月、報じられている捜索活動の一部だけで以下の通りだ。

海保、県警合同で懸命の捜索 震災月命日に

釜石海上保安部と県警は東日本大震災の月命日の11日、陸前高田市などで行方不明者の集中捜索を行った。震災から1年1カ月、県内では今なお1225人が行方不明(11日現在、県警まとめ)。被災者は帰らぬ家族を切実な思いで待ち続ける。職員らは「不明者がいる限り、震災当初と変わらぬ思い」と懸命に活動したが、この日は新たな発見に至らなかった。

 海保は巡視船など4隻、35人態勢で活動。陸前高田市の広田湾ではソナーで海底を探り、車や家屋らしき物体の場所を記録しながら捜索を続けた。

 釜石海保警備救難課の阿部富二専門官は「一人でも多くを家族の元に帰したい」と思いを込めた。

 県警は宮古署42人、大船渡署35人態勢で、同市と大船渡市、宮古市、山田町で海沿いの陸地を中心に、小さな岩やがれきの裏などを丁寧に調べた。一方井文彦宮古署長は出動式で「被災者の気持ちに応えるよう、懸命に取り組んでほしい」と激励した。

 今月上旬の低気圧通過で海が荒れたことから、新たな発見も期待されたが、同日は見つからなかった。


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【写真=ソナーを使い、海底を捜索する釜石海上保安部職員
=11日、陸前高田市・広田湾】


東日本大震災:行方不明者の一斉捜索行う--南相馬・小高区 /福島

毎日新聞 2012年04月24日 地方版

 県警は23日、警戒区域解除後、初めて南相馬市小高区で、福島海上保安部も加わり、行方不明者の一斉捜索を行った。

 捜索範囲は津波被害を受けた新地町からいわき市までの沿岸部。満潮と干潮の差が大きい大潮期間中を狙い、干潮時間帯(午前11時前後)に約120人を動員した。


1年ぶり、大沢漁港周辺の海中捜索 気仙沼・唐桑

 宮城県気仙沼海上保安署などは24日、東日本大震災の行方不明者捜索の一環として、気仙沼市唐桑町の大沢漁港周辺で約1年ぶりとなる海中捜索をした。
 近くの小原木地区で6人が行方不明になっているという情報を元に、宮城海上保安部所属の巡視船「くりこま」のダイバー6人が潜水した。水温5度の海中を何度も潜り手掛かりを求めたが、この日は不明者は見つからなかった。
 潜水班長の藤田伸樹さん(37)は「まだ見つかっていない人は多くいる。物が見つかれば身元の判明にもつながるので、できる限り捜したい」と話した。25日も大沢漁港で捜索する。

2012年04月25日水曜日

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港内を捜索する宮城海上保安部のダイバーら

1年を越す月日が経っても、被災し大切な人を失った人々には何の節目にもなりはしない。しかし、そうした月日を捜索に当っていた海保にとっては一年は一つの契機となった。事実上の捜索体制の縮小である。

震災不明者捜索、全国の海保巡視船派遣は終了へ

 海上保安庁は21日、東北沿岸部で実施している東日本大震災の行方不明者捜索について、全国各地からの巡視船艇などの派遣を今月中に打ち切り、4月以降は宮城県塩釜市の第2管区海上保安本部が単独で継続すると発表した。

 海保は震災発生以降、最大で1日あたり巡視船艇54隻、航空機19機を投入して東北沿岸の1024か所を捜索。これまでに395人の遺体を収容し、うち52人を潜水捜索で発見した。今後は、2管本部の巡視船艇20隻、航空機5機程度で捜索を続けるという。

 派遣終了は、東北沿岸の全港湾で捜索を行ったことや、尖閣諸島周辺の領海警備などに船艇を振り分ける必要があることから決まった。鈴木久泰同庁長官は21日の定例記者会見で、「まだ多くの行方不明者がおり、震災対応の柱として、今後も捜索を続けていきたい」と話した。

(2012年3月21日20時17分 読売新聞)

米軍、自衛隊、消防援助隊、警察広緊隊が順次任務終了、撤収する中、全国からの派遣を長らく維持し続けた海保もようやくその体制を終了した。他の機関に比べ人員規模が小さい海保にとっては驚異的な派遣期間だったといえる。これは津波という沿岸部における大規模な災害で行方不明者の大部分が海にさらわれたと考えられている点や、地元を管轄する第二管区海上保安本部自身が深刻な被害を受け本来になうべき通常の任務を維持できなくなってしまっていたことなどが挙げられる。実際、行方不明者の捜索活動だけではなく、哨戒活動や洋上救急待機などの業務も派遣巡視船は行っていた。一方で、他の管区での任務が減ることはない。そのため潜水士や指定船の不足のほか、特に尖閣諸島などの哨戒警備活動でも支障が懸念されていた。派遣され捜索に当っている潜水士や乗員などの海上保安官には継続したいという真情も合ったかもしれない。

しかし、事実上の体制縮小である反面、これは二管が復旧しつつあるという兆しでもある。




本来、震災から1年ということで2ヶ月前にはこうしたエントリを作成してアップしておくべきだったのだが、年度末であったため叶わなかった。そこで、遅ればせながら3月までに報じられた被災地での海保の活動と、震災から10ヶ月目に準備していたエントリ内容をここに掲載する。

3・11東日本大震災から1年 あの日、あの時から-

その日、なついは定期整備中で、坂本さんは非番だった。同僚の送別会のため、待ち合わせ場所となった小名浜の庁舎に自転車で向かう途中、突如、歩道の植え込みに放り出された。一瞬、何事が起きたか理解できなかった。顔をあげると道路がうねり、電柱や建物が大きく揺れている。近くのカラオケ店から女性が飛び出し、恐怖におびえ泣き出した。
最悪の事態を考え、急いで巡視船へ。息を切らして船に着くと、近くの庁舎から避難を呼び掛ける声が聞こえた。「津波が来てる。退避しろ!」。急いで庁舎に駆け上った。
 長く苦しい闘いが幕を開けた。人命救助に乗り出そうとするが、沿岸は漂流物や海底に異状物があるために船が近寄れず、事前に陸上から踏査をしなければならない。坂本さんは志願した。地元出身で地の利がある、ぜひやらせてほしい――。
想像を絶する光景が広がる中、がれきの山をかき分ける。先に到着した自衛隊が、泥にまみれ息を引き取った犠牲者の顔を優しくふき取る。壮絶な現場。多くの遺体と向き合った。そして東京電力福島第一原子力発電所事故。目に見えない恐怖と闘いながら、1週間、2週間、そして1カ月と現地を踏査し、仲間に貴重な情報を伝え続けた。海保の活動の裏には、坂本さんたちの努力があった。




東日本大震災から11カ月 不明者いまだ3300人

 東日本大震災は11日で発生から11カ月。連日氷点下に冷え込む被災地で、警察や海保などは懸命な捜索活動を続けているが、10日時点で行方不明者は、岩手、宮城、福島など6県でなお3305人に上る。

震災11か月 不明者捜索続く

捜索に先だって、津波で警察官が殉職した陸前高田市の交番の跡で黙とうし、このあと警察官が砂浜や河口付近の茂みなど、目の行き届きにくいところに手がかりになるものがないか捜していました。
また、海上保安部は巡視艇や小型のボートを出して、海上からの捜索にあたり、午後からはダイバーが水中に潜って捜索を行うことにしています。
岩手県警察本部によりますと、県内では10日現在で1316人の行方が分かっていません。



岩手沿岸で行方不明者を合同捜索 県警と釜石海保

 捜索には鹿児島と横浜から応援に来ている巡視船2隻が出動し、海保の潜水士や大船渡署の警察官ら約90人が参加。警察官は陸前高田市から大船渡市にかけ海岸線を中心に徒歩で不明者を捜し、潜水士らは沈んだ車両など海中を中心に捜索したが、遺体は見つからなかった。

 釜石海保によると、震災の発生から1月末までに、延べ608回の潜水活動を実施。全国からの応援を含む延べ3702人の潜水士らが活動し、130人の行方不明者を発見した。

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 海中を捜索する海上保安庁の潜水士=11日午後、岩手県大船渡市

震災2遺体発見 大船渡と釜石で

 大船渡市と釜石市で9日にかけ、東日本大震災の行方不明者とみられる遺体2体が相次いで見つかった。県警が身元の特定を急ぐ。

 釜石海上保安部によると、大船渡市の大船渡港で8日午後、海上保安庁潜水士が海底に沈んでいた車の中に遺体を発見。9日午後に車を引き揚げ、遺体を大船渡署に引き渡した。

 車は大船渡魚市場の北約140メートルの、水深約2メートルの海底に沈んでいた。遺体は後部座席に横になった状態だった。成人とみられるが性別は見分けがつかず、着衣はぼろぼろの状態だった。10日以降に司法解剖を行う。



【震災】今も3200人不明 大川小周辺で大規模捜索

 捜索は、警察や海上保安部など合わせて200人態勢で行われています。宮城・岩手・福島の被災3県では、現在も3200人余りが行方不明です。児童の7割が犠牲となった大川小学校の近くでは、約100人がせき止めた川の底に堆積した泥をかき分けるなどして捜索にあたっています。捜索態勢は半年を節目に縮小していて、20日の捜索は大川小の保護者の要望を受けて実現しました。


東日本大震災:岩手・釜石市の要請で4機関一斉捜索

 東日本大震災1年を前に20日、岩手県釜石市で行方不明者の一斉捜索が始まった。「一人でも多く家族の元に」と市が海保、港湾事務所、警察、消防に要請し、初めて4者による150人体制の合同捜索となった。29日まで続けられる。

 同市港町であった開始式で野田武則市長は「行方がわからない人も多くいる。家族の期待に応えたい」と述べ、海保の潜水士が水温3度の海中に潜った。同市では現在も159人の行方が分からない。



釜石港中心に集中捜索

東日本大震災発生1年を前に、釜石海上保安部は20日、釜石市内で行方不明者の集中捜索を始めた。

 海保職員らが同市港町の公共埠頭(ふとう)で黙とうした後、ダイバー7人が釜石港の魚市場周辺の海中を捜索。同港は漁船や貨物船の往来が多いため、海保はこれまで市内のほかの港や海岸での捜索を優先していた。捜索は今月末まで、釜石港を中心に行われる予定。

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釜石港内で行方不明者の捜索をする海上保安官ら(20日)

「3.11」を前に 釜石で行方不明者の一斉捜索

 一斉捜索は釜石海上保安部、釜石署、国土交通省釜石港湾事務所、釜石大槌地区消防本部、釜石市の5機関、計約150人態勢で行う。釜石港公共埠頭(ふとう)であった開始式で、野田武則市長は「市の行方不明者は、いまだ159人に上る。家族の期待に応えてほしい」とあいさつした。
 初日は、これまで捜索していない釜石港公共埠頭北側の海底を中心に実施。釜石海保と応援の横浜海保の巡視船など4隻とヘリコプターが出動し、潜水士7人が海に潜った。横浜海保の潜水士坂上悠さん(25)は「一人でも多く家族の元に返せるよう、一生懸命頑張る」と話した。


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行方不明者を捜索する潜水士ら=20日午前9時45分ごろ、釜石港

写真に写されている高速警備救難艇は巡視船「いず」(PL31)搭載のものだ。おそらく震災発生一年を前に海保としては総力を挙げて捜索活動を行ったのだろう。「いず」は3管所属の災害対応型巡視船であると同時に、最大の救難強化指定船でもある。

こうした捜索活動の結果、ふたたび遺体発見に至った。

震災犠牲者か、海底に遺体 大槌・船越湾

 23日午後2時40分ごろ、大槌町の船越湾の水深約13メートルの海底で、海保の潜水士が遺体を発見し、釜石署に引き渡した。同署は東日本大震災の行方不明者の可能性もあるとみて身元の特定を急ぐ。

もちろんこうした活動を行ったのは「いず」だけではない。下の記事からは鳥羽海保の「いすず」が派遣されていたことが分かる。

【釜石】不明者発見へ懸命に 一斉捜索が終了

 東日本大震災発生から丸1年を迎えるに当たって大規模に行われた釜石市の行方不明者一斉捜索は29日で終了した。「絶対にあきらめない」と海保潜水士らが身を切るような寒さの中、海へ潜り続けたが、20日からの期間中は大きな成果は上がらなかった。今後も通常態勢で手掛かりを捜す。

 鳥羽海上保安部(三重県鳥羽市)に所属する巡視船「いすず」の潜水士8人は、釜石港北側の岸壁付近で約300メートルに及ぶ範囲で捜索。8人は船上で位置などを確認した後ゴムボートに乗り込み、勢いよく海中へ飛び込んだ。

 水温2・4度の海中を深さ15メートル近くまで潜った小木曽健潜水士(33)は「とたんや家財道具などのがれきが見えた。一人でも多くの方を見つけられるよう、しっかりと捜索を進めていく」と力を込めた。

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【写真=捜索前に入水方法や潜水位置について確認し合う巡視船いすずの潜水士=釜石市・釜石港】

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tag : 海上保安庁 巡視船 高速警備救難艇 東日本大震災 海洋情報部

2012-05-11 : 東日本大震災 : コメント : 2 : トラックバック : 0
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引っ越しで貴重資料を、海底で生命誕生の秘密を見つける海洋情報部

海上保安庁の施設から「お宝」が出た、というニュースが先月報じられていた。
埋蔵金や石油が出たわけではない。歴史的資料という意味で、極めて貴重な「お宝」が発掘された。

海洋情報部の「倉庫」から、である。

いや、貴重なのは分かるが、「何度目だ」と思っている人もいただろう。

ちなみに発見されたのは、日本最初の海図やペリー艦隊の測量図、さらには軍機海図などである。

日本初の水深図発見=機密海図やペリー測量図も-海保倉庫から、公開へ

 海上保安庁の東京都中央区の施設から、日本初の海図に使われた明治初頭の岩手県釜石港の水深図や、昭和初期の商船の交通量を示す旧日本海軍の機密海図などの歴史的資料が大量に見つかった。
 同庁海洋情報部の移転に伴い、財団法人「日本水路協会」が2010年度から資料を整理する中で発見し、約1万3500点をデジタルデータ化した。海洋情報資料館(東京都江東区)で25日から閲覧できる。特に貴重な約190点はインターネットで公開する。

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日本最初の海図である『海軍水路寮 第一号海図 陸中國釜石港之図』

この海図第一号については海洋情報部で解説されている。

「海図」第1号は?

記念碑が平成6年に設置されていることから、今回発見される以前から同じものを持っていたのだろう。まぁ、海図だから当然だろうが。

この記念碑、釜石市の大観音広場に設置されているというが、震災で周囲の風景や海底地形、水深がどれだけ変わってしまったかと思うと複雑な気持ちになる。

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商船交通量を示した軍機海図

日本初?の水深図発見 明治の釜石港、公開へ

 海上保安庁の東京都内の施設から、日本初の海図の基になった明治初頭の岩手県釜石港の水深図など歴史的資料が多く見つかったことが19日分かった。海保は「この水深図も日本で初めてとみられる」としている。

 海保によると、釜石港の水深図は「日本の海図の父」とされる旧海軍初代水路局長の柳楢悦らが、1871(明治4)年に測量。この水深図を基に日本初の海図が刊行された。

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ペリー提督らが作成した東京湾の測量図か、その写しとみられる図


発見された経緯や他の貴重資料については日本財団ブログで紹介されている。日本財団は海洋情報部と日本水路協会による大掃除倉庫資料整理を支援し、電子化も助成している。今回発見された資料の中でも特に貴重なものが5つあげられている。

日本初の水深図など歴史的資料 海保倉庫から多数発見

資料整理を担当した水路協会の熊坂文雄調査研究部長によると、今回見つかった中で貴重な資料は①明治5年9月と10月に刊行された釜石港海図、宮古港海図の基になった日本海図の父といわれる柳楢悦らが測量したといわれる銅板の釜石港水深図(明治4年9月)と宮古港水深図(同年8月)②関東大震災後に海上保安庁が実施した相模湾の状況を示す水路要報③ペリーが1853年に測量し、米国で出版された東京湾の海図④手書きの古地図(江戸時代前期に作成された伊勢国割地図を基に描かれ、その後携帯用地図の基図に使われたものらしい)⑤明治24年刊行の「天図」(全天球の季節ごとの星座の位置を記入し、夜の航海に使用する)、大正8年刊行の「星図」(星や星雲などの位置、明るさなどを平面に描いたもの)―などがある。

いくつかは上記記事でも掲載されていたものだ。

ちなみに、②の「関東大震災後に海上保安庁が~」のくだりは海軍水路部の間違いだと思われる。海保が測量すればどの時代であっても「関東大震災後」なわけだが、その直後の文章で「測量艦」とある。

このうち関東大震災の直後の相模湾については測量艦松江、武蔵など4隻が鉛を使った錘測という方法で調査した。最高で250メートル隆起する一方、300メートルも沈下した場所もあり、巨大地震によって同湾の水深がかなり変化した実態が赤と青の数字で記されている。



これらの資料は電子化され一部はインターネット上のwebサイトでも閲覧可能だ。

海図アーカイブ

今回、公開された資料の中には復元されたものの海図のように電子化されなかった、いや、できないものがある。

それは、カールツァイス社製「ステレオ・プラニグラフC5型」一級測量図化機だ。

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復元された測量用一級図化機(左が熊坂さん)

1月19日付の海上保安新聞1面で詳細に紹介されていた。

図化機というのは、2枚の航空写真から等高線や道路などを作図する機械で特に精度の高いものを一級図化機としているという。このC5型機は高さ約2メートル、幅約1.6メートル、奥行き約2メートル、重さ約1トンの鉄製。

旧庁舎倉庫で発見された同機は、昭和15年に潜水艦によってドイツから輸入され、戦中は戦火から逃れるために各地に疎開していたという。戦後、水路部(現在の海洋情報部)が2回ほど使用した記録が残っているが、安価で使いやすい同等機の普及により解体され倉庫に保管されていたらしい。今回「発見」されたことにより日本財団の助成金を使って復元されることになった。部品の洗浄や組み立てを担当したのは測量機器販売の「サンケーエンジニアリング」は設計図がない状態で経験や勘を駆使して組み立てたという。

C5型機は今回復元されたものとドイツの1台しか現存していないとのことだ。


ちなみに、どうしてこの海洋情報部の「宝物殿」が御開帳になったかというと、庁舎が引越したからに他ならない。

海洋情報部庁舎の移転について

海上保安庁海洋情報部 新庁舎披露会

海上保安庁海洋情報部の新庁舎訪問

移転に伴って資料整理が行われ、その際に発見されたものや、新庁舎に併設される海洋情報資料館に展示するために復元整理されたのである。この資料館にはC5型以外にも潮候推算機と呼ばれる貴重な機械が展示されている。

測量・地図の展示館

実はこの庁舎、移転直前に東日本大震災で火災被害の憂き目に遭っている。都内の被害映像として繰り返し放映されたため建物そのものは覚えている人もいるかもしれない。

関連エントリ:海上保安庁海洋情報部庁舎(仮称)も被災か

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海上保安庁などによると、11日に東北地方を中心とした大規模な地震で、同庁の海洋情報部などが移転を予定していた
建設中のビル(東京・江東)で火災が起きているとの情報がある。同庁は今後、情報を確認する方針だ。

移転後に火災になり貴重資料が被害にあっていたらと思うと、ぞっとする。もっとも火災原因は工事機材だろうからその危険性は低かっただろうが、想定外の自体が起きたのが先の震災である。


さて、冒頭で「何度目だ」といったのは、実はこの海洋情報部の倉庫、度々貴重資料の「発掘」が行われているからだ。
掃除や倉庫の整理をするたびに「発見」されていたのだろう。
「伊能図」や「戦前の航空写真」、「戦中の高度方位暦」・・・まだまだあると思っていたが、今回の引越で総決算となったわけだ。

幻の伊能忠敬「伊能大図」4枚、海上保安庁の倉庫で発見(TBS news-i 2004/7/1 記事消滅)

 江戸時代の測量家、伊能忠敬が作った最古の日本地図の模写のうち、これまで所在が分からなかった4枚が、海上保安庁の倉庫から見つかりました。

 見つかったのは、江戸時代に最初の日本地図を作った測量家、伊能忠敬による「伊能大図」の模写4枚で、北海道の「宗谷岬」や今の京都・大阪周辺の「山城摂津河内」などの地図が 描かれています。
 
 これまで全く所在が分からず、幻の4枚と言われていましたが、東京・築地の海上保安庁の倉庫から 今年5月、見つかりました。「伊能大図」は214枚からなる最も古い日本全土の地図ですが、原画のほとんどは明治初期の火災で焼失していて、模写の大半が アメリカの議会図書館に保管されています。



約70年前の東京を収めた航空写真地図発見・現存最古か(日経 2004/7/3 記事消滅)

 東京区部のほぼ全域を撮った昭和8年(1933年)刊行の航空写真地図「大東京鳥瞰(ちょうかん)写真地図」が、このほど海上保安庁で見つかった。
これほど広範囲を収めた航空写真地図は、現存では日本最古とみられる。今はビジネス街の皇居東側には文部、大蔵、内務の各省が並んでいた。



海保所蔵の「伊能地図」模写図、原本に最も近いと確認(読売新聞2007-02-02)

江戸時代後期の測量家、伊能忠敬が作成した「大日本沿海輿地全図」の写しのうち、海上保安庁が所蔵する大図(縮尺1/3万6000)の模写図3枚が、最も原本に近いとみられることが確認された。

調査を行った同庁海洋情報部と「伊能忠敬研究会」が2日、発表した。



この「高度方位暦」にいたっては、倉庫内の本棚に積まれてあったというのだから凄いんだか酷いんだか・・・

戦時中の高度方位暦を海上保安庁の倉庫から発見 一般公開(山梨日日新聞 2010/8/14 記事消滅)

第2次世界大戦中、海上で現在地を特定するために、天体の高度を記した「高度方位暦」を山梨大大学院医学工学総合研究部の高橋智子准教授が、東京都中央区の海上保安庁の倉庫で発見した。

これまで戦時中の高度方位暦について記された資料はあったが、存在が確認されたのは初めて。

高度方位暦は14日から上映される県立科学館のプラネタリウム番組「戦場に輝くベガ-約束の星を見上げて」にも登場していて期間中、同館で一般公開する。

見つかったのは、1944年6月~45年9月に刊行された11冊。同庁前身の海軍水路部が作成したもので、日本軍の基地別に、太陽や月、星の高度が20分間隔で記されている。緯度別の3冊もある。

高橋准教授によると、戦時中、航空機の偵察員は「天測略暦」と「航空天測表」を用いて、海上の位置を特定していた。ただ、計算に時間がかかる上、計算ミスで帰還できなかったケースもあるという。

高度方位暦は、基地を基準にこの二つを用いて計算し終えたデータ集。現在地特定までの時間が短縮される一方で、基地から離れるほど精度は低下する。航空機の帰還用に作られたものだが、実際に使用されたかは確認されていない。

52年刊行の同庁水路部の80年史に高度方位暦の存在が記されていたが、実物は見つかっていなかった。戦争と科学の歴史について研究している高橋准教授が、同庁海洋情報部の倉庫の本棚上部に積まれているのを発見した。

高橋准教授は「刊行順に並べてみると、基地の数が少なくなり、位置も本土に近くなっている。戦況が厳しくなっていることが読み取れる」と話している。

「戦場に輝くベガ-」は2006年に制作された同館オリジナル番組。高度方位暦を作る女学生と爆撃機の偵察員との手紙のやりとりを軸に、戦争の悲惨さを描いている。今年は14~17日午後5時15分から上映。期間中に高度方位暦を一般公開する。

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【旧海軍:「高度方位暦」発見 自機の位置割り出す早見表】

初めて実物が確認された「高度方位暦」=甲府市武田の山梨大で、小林悠太撮影



だが「あの倉庫が、最後の一つだとは思えない・・・」


ちなみにこうした古い海図と海保海洋情報部が作成した最近の海図をあわせて地元に寄贈したりもしているという。

徳山港:海保が今昔図寄贈、周南市に 伊能忠敬作製も /山口

今年の徳山港開港90周年を記念して、徳山海上保安部が16日、江戸時代から現在までの同港周辺の地図3枚を収めたパネルを周南市に寄贈した。パネルは市長室に飾る。

 江戸時代に日本で初めて実測による日本地図を完成させた伊能忠敬が作った1806(文化3)年の同湾周辺の図と、1919年の海図、昨年作成した5万分の1の海図の3枚を縦90センチ、横125センチのパネルにした。

ただ、市長個人や役職に対して送ったのではなく市と市民に対してのものだから、市長室という見ることの出来る人が限られた場所ではなく、もっと広く市民が見ることの出来る場所に展示すべきだろう。日本国民の財産なのだから。


言うまでもないが、海洋情報部が様々なものを「発見」するのは倉庫だけではない。本当の意味ではこちらのほうが「発見」である。

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2012-02-24 : 海上保安庁 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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118の日にとんでもないプレゼントが・・・

先日、18日からその週末22日までにかけて、各地で海上保安庁のイベントが開催された。
それは海の110/119である118番の広報のために2011年から1月18日を118番の日としたからである。

118番が運用開始されてから10年以上たつもののいまだ誤報・いたずら・まちがいが通報全体の97~99%を占めている状態である。このままでは情報提供どころか指揮通信システムに支障をきたしかねない。

海の110番、無効通報99%…押し間違い大半

 海の110番と呼ばれる「118番」通報で、昨年1年間に全国で受けた通報47万9816件のうち、間違いなどの無効な通報が99%を占めたことが、海上保安庁への取材でわかった。

 いたずらのほか、「110番」や「119番」の押し間違いなどの誤報が大半だった。運用を始めた2000年以降、有効な通報は毎年1%前後しかない。海保は昨年から1月18日を「118番の日」としてPRを始め、市民に浸透を図ろうと懸命になっている。(市川了輔)

 海保によると、昨年の118番による通報のうち、船舶の海難や人身事故など有効な通報は5271件で、全体のわずか1・1%。残りは「すぐに切れる電話」が43・3%と大半で、「間違い電話」35・4%、「無言電話」17%、「いたずら電話」3・2%だった。

 大阪港や神戸港などを管轄する第5管区海上保安本部管内でも、昨年の118番全7万3971件のうち、有効通報は0・7%(504件)にとどまった。全国と同様に「すぐに切れる電話」が最も多く67・7%。「間違い電話」25・8%、「無言電話」4・9%、「いたずら電話」0・8%だった。

 原因について、海保は、番号自体が認知されていないことや、語尾の『8』と、110番や119番の語尾『0』『9』が、携帯電話のボタンで隣接しているため、押し間違えも多いと分析している。

 118番は海保の各管区本部で受けて、管轄の各保安部などへ出動要請を出す。いたずらの通報で救助のため巡視艇が出動する騒ぎが起きているほか、無言電話が重なって回線がふさがり、他の通報に対応できない恐れも生じる。第5管本部救難課の勝部光人専門官は「間違いやいたずらと思っても、本当の通報かも知れないので、簡単に電話は切れない」と悩みも深い。

減らない 誤報99% 海のSOS…きょう「118番」の日

 一月十八日は海上保安庁が定める「一一八番の日」。海の一一〇番にあたる緊急通報番号の知名度を高める切り札として昨年、記念日を制定したが、一年が経過しても間違い電話やいたずら電話など「誤報」の多さは相変わらず。「一一八番」の重要性を知ってもらおうと正しい使用のPRに懸命だ。

 同庁によると、二〇〇〇年五月の一一八番の運用開始から昨年末までの通報総件数七百七十六万件のうち、99・2%に当たる七百六十九万件が誤報だった。内訳は、着信時にすぐ切れる「即断」が最も多く、ほぼ半数を占めた。次いで間違い、無言、いたずらの順。

 先月の一カ月間だけをみても通報四万二千八百三件のうち99・4%の四万二千五百四十二件が誤報。このうち42・8%が即断だった。

 一一八番は、携帯電話や加入電話からは全国十一の管区海上保安本部で受け、船舶電話は東京の本庁が受ける。

 船舶海難や人身事故のほか、昨年九月、石川県輪島沖を漂流中の脱北者の保護につながった地元漁船からの通報も一一八番だった。ただこうした「有効通報」は先月でわずか0・6%だ。

 同庁では「人がおぼれている」などの通報には巡視船などを即座に出動させる。一方でいたずらだった場合に虚偽通報者の逮捕に発展したケースも。〇二年一月、「不審者が上陸した」との一一八番通報を受け巡視船などが出動したが、結果的に虚偽と判明、偽計業務妨害容疑で逮捕された。

 その前年には八百八十三回のいたずら通報をした男性が逮捕されている。

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118番通報を受ける海上保安官(昨年1月)=東京都千代田区で


海上保安庁では事あるごとに毎年広報活動を実施しているが知名度が上がっているとはいい難い状況であった。そういうこともあって去年からは118の日を制定し全国一斉に広報活動を実施することにしたのである。

(もっとも、これには忙しい現場からの苦情もあったが)

関連エントリ:『海上保安庁緊急通報118!!でも誤報が99%』のニュースでさらに誤り
今日は118の日だが・・・それは、どちらかと言うとちっぽけなことなのか?


そして、今年は118の日以外にも、マスコミに注目してもらうべくある秘策を練っていた。

まずは各地のイベントの様子から見て行こう。


118番の日:マリンメイトら、通報対応を体験--第5管区海保 /兵庫 

「118番の日」の18日、第5管区海上保安本部で神戸海洋博物館マリンメイトの勝井藍さん(24)、渡辺唯以斗さん(25)が「一日海上保安官」に任命され、118番通報対応のデモンストレーションを行った。

 海の緊急通報用電話118番は00年に運用開始。同本部が昨年受理した通報は7万3971件だったが、間違い電話などを除いた有効件数はわずか504件(0・7%)にとどまり、一般への定着は十分ではない。一方、GPS機能付き携帯電話で通報を受けることで海保側が位置情報を正確に確認でき、救助活動がスムーズに進んだ事例もあった。

「118の日」 マリンメイトが模擬通報

 一方で昨年7月には淡路島沖で、漁船転覆を通行人が発見し118番。男性1人が救助された。

 この日は、一日海上保安官の勝井藍さん(24)と渡辺唯以斗さん(25)が、同本部の運用司令センターへ。岸壁と船からの転落を想定した通報や受信業務を体験した。渡辺さんは「岸壁や海岸などにも対応してもらえることが分かり安心した」と話していた。

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運用司令センターで、118番通報の模擬通信を行う渡辺さん(右)と勝井さん=5管本部

管区本部所在地だけでなく各地の保安部でも広報活動が行われた。

「118番」もっと知って 海上保安部が徳島市でPR

 海上保安庁の緊急通報用電話番号「118番」を周知するため、徳島海上保安部は「118番の日」の18日、徳島市西新浜町1のマルナカ徳島店で、買い物客らに啓発チラシを配った。

 同保安部の海上保安官ら5人が「海上での事件や事故、不審な状況を見掛けた時は118番通報を」などと呼び掛け、買い物客にチラシやハンドタオルを配った。

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海の事件事故は「118番」に 和歌山海保などが啓発活動

 海の110番にあたる緊急用電話番号「118」を正しく知ってもらうため、和歌山海上保安部と田辺海上保安部は「118番の日」の18日、商業施設などで啓発活動を行った。

 このうち、和歌山海上保安部は、和歌山市松江のメッサオークワガーデンパーク和歌山店で、ようすい保育園(同市西浜)の園児ら12人と一緒に、啓発用チラシ約200枚を買い物客らに配布。「海の事件事故は118番に電話してください」などと元気良く呼びかけた。

 また、田辺海上保安部は、田辺市や白浜町のマリンショップなど約60施設を回ってポスターやチラシなどを配り、海の安全や118番の周知を訴えた。



海での緊急事態 「118番に電話を」

 海の緊急ダイヤル「118番」をPRしようと「118番の日」の18日、第6管区海上保安本部(広島市南区)の職員が、宮島口フェリー桟橋(廿日市市宮島口)など海沿いの2カ所で、チラシ約400枚などを配った。

 海上保安庁のキャラクター「うみまる」も登場。職員が通勤・通学客や観光客らに「海の『もしも』は118番」と書かれたチラシやばんそうこうなどを配った=写真。

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海の「もしも」は118番へ 玉野海上保安部が呼びかけ 岡山

 海上保安庁が制定した「118番の日」の18日、玉野海上保安部職員らが岡山市のJR岡山駅前で、海難事故の緊急通報は118番を利用するよう呼びかけた。

 この日は同庁のマスコット「うーみん」も登場し、職員らは「海の『もしも』は118番」とチラシやティッシュを配ってPR。同保安部の野間功治管理課長は「素早い通報で命が助かった例もある。118番を知ってほしい」と話した。

このときの海上保安官はなぜか防弾装備(軽量タイプ)に見えなくもないが・・・

「海のもしもは118番」 玉野海保が岡山駅前でPR

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後ろに貼られたポスターに注目(詳しくは後述)。

七管では巡視船「ちくぜん」が一般公開された。記事には書かれていないが市民にカレーが振舞われたという(海自じゃないのに・・・w)。

巡視船ちくぜん一般公開 「118番の日」1周年

 海上保安庁が定めた「118番の日」(1月18日)の制定1周年記念イベントが21日、門司区西海岸の海峡ドラマシップ周辺であった。近くの岸壁では第7管区海上保安本部の巡視船「ちくぜん」が一般公開され、家族連れなどでにぎわった=写真。

 118番は海保への緊急電話で2000年に運用開始。ただ知名度が低く、通報の約97%が間違いやいたずらであることから、周知のために記念日を決めた。この日、ちくぜんの見学者は船内の操舵(そうだ)室や医務室、甲板に設置の機関砲を興味深そうに見て回っていた。

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八管では広報イベントだけでなくマスコミ向けに118通報対応初動訓練が公開された。

初動対応スムーズに 8管「118番の日」訓練 京都

 「118番の日」の18日、第8管区海上保安本部(舞鶴市)で、司令センターが118番通報を受けた際の初動対応の訓練が行われた。

 8管本部への昨年1年間の118番通報は1万5680件だが、いたずら電話や無言電話、間違い電話を除いた有効件数は268件となっている。

 初動対応訓練は、府内の海岸で磯釣りをしていた男性が足を滑らせて海中転落したとの想定で、8管本部の司令センターで行われた。訓練では、司令センターに訓練用の118番通報電話がかけられ、センターの当直者が発生現場の位置の確認や転落した時の状況などを聞き取り、担当の海上保安署や海上保安庁本庁への連絡、ヘリコプター出動の連絡などを行っていた。



「海のもしもは118番」 海保キャラ「うみまる」がキャンペーン 新潟

「118番の日」の18日、新潟海上保安部は新潟市江南区のイオン新潟南ショッピングセンターで「118番」周知キャンペーンを行った。海上保安庁のキャラクター「うみまる」も参加し、ちびっ子たちの人気を集めていた。

 同保安部の本間正臣次長は「118番をぜひ覚えていただき、もしものときは、迷わず通報してほしい」と話している。

 同保安部によると、第九管区海上保安本部(新潟)の管内では平成23年の1年間に通報があった118番は1万3596件。しかし、間違い電話やいたずら電話が多く、船舶海難や人身事故関係の緊急を要する通報は136件だった。

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お巡りさん、こいつです!児童への声掛け事案

十管では118番イベントとしてだけではなく管区創設50周年を記念する式典も行われた。

10管が鹿児島で「118番」周知イベント

 海の110番に当たる海上保安庁の緊急電話「118番」を知ってもらうと、鹿児島市の第10管区海上保安本部は15日、同市東開町のショッピングセンター「イオンモール鹿児島」で啓発活動をした。同本部の職員たちが買い物客にチラシなどを配り、正しい利用を呼び掛けた。

 この日は、海上保安庁のマスコット「うみまる」も参加。職員たちは「118番知ってる?」と書かれた風船などを配ってPRした。買い物客へのアンケートも行い、結果は「118番を知っている」が147人、「知らない」は138人だった。

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「118番の日」 10管が設立50周年式典

 海の緊急通報用電話番号「118番の日」に合わせ、第10管区海上保安本部は18日、鹿児島市のホテルで設立50周年記念式典を開いた。OBや関係者ら約150人が出席した。
 佐藤雄二本部長が「変わりゆく社会情勢の中で、初代海上保安庁長官が掲げた『正義仁愛』を胸に海上保安業務に取り組んできた」と式辞。20代の若手職員8人が、「これからも南九州の海を愛し守り続けます」と誓いの言葉を述べた。

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50周年記念式典で誓いの言葉を読み上げる10管の若手職員ら
=18日、鹿児島市のサンロイヤルホテル

こうして、各地でイベントが開催されたのだが、最も注目されたことがある。それはこの日任命された一日第三管区本部長についてだ。

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tag : 海上保安庁 ボンバル300 EEZ 尖閣諸島 領海警備 中国 中国海事局 東日本大震災

2012-01-26 : 海上保安庁 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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