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一年と2ヶ月が過ぎた被災地における海保の活動

日本を襲ったあの災害から既に1年と二カ月が経過した。被災地から離れた地に住む人々の関心は薄れ、もっぱら原発・電力問題や放射能汚染問題ばかりがメディアを賑わせている。

だが、現地では今もあきらめずに捜索を続ける人々がいた。警察と海保である。

震災不明者を一斉捜索 宮古署と海保合同で

 宮古署と宮古海上保安署などは9日、合同で震災の行方不明者の一斉捜索を行った。震災発生から1年2カ月となる11日を前に、参加者は宮古、山田両市町の海上と陸上で遺品や遺骨を捜した。
 捜索場所は陸上が同市重茂地区と同町船越地区、海上が宮古湾、同市重茂地区、船越湾。同町船越では、地元の交番所員ら計10人が海岸沿いの岸壁や沢周辺を調査したり、とび口を使って砂の中や山林を捜した。

 同日は同市重茂の砂浜や山林で骨のようなもの十数本が見つかった。人のものと分かればDNA鑑定する。

  宮古署管内では1日現在、250人が行方不明となっており、昨年9月15日に同町で発見されて以来、遺体は見つかってない。



震災不明者を宮城沿岸で集中捜索 海上保安部

 東日本大震災発生から1年2カ月となった11日、宮城海上保安部は宮城県内の沿岸で、行方不明者を約110人態勢で集中捜索した。警察庁によると、県内の行方不明者は9日現在で1581人。
 捜索には巡視船などが出動。浅瀬ではゴムボートを使うほか、ソナーで海底に車などが沈んでいないか確認した。
 石巻市十八成浜では巡視船まつしまの乗組員35人がゴムボート2隻と警備救難艇1隻で湾内を捜索。気仙沼湾などでも実施され、飛行機やヘリコプターで空からも捜した。〔共同〕


震災不明者を集中捜索 宮城沿岸、110人態勢

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ゴムボートで行方不明者を捜索する宮城海上保安部の職員
=11日午前、宮城県石巻市十八成浜


震災から1年2か月、宮城で不明者集中捜索

 11日の集中捜索は、石巻や気仙沼など県内6つの海域で110人が参加して行われた。このうち石巻市十八成浜では、海中探査用のソナーをつけたゴムボートに隊員が乗り込み、漁港付近の海中を調べた。

 8日に県が公表した死者は関連死も含めて1万162人、行方不明者は1581人となっていて、宮城海上保安部は今後も毎月11日に集中捜索を行うことにしている。(05/11 23:36)


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巡視船「まつしま」は「あの日」洋上にて津波に遭遇し、その時に撮影された映像は世界中を駆け巡った。上記写真に写っているRHIB/GB(PL126-M3)と動画の高速警備救難艇(PL126-M1)は巡視船「まつしま」搭載艇である。動画ではRHIB/GBに搭載されたソーナーの様子がよくわかる(座席の本体表示部と船首のセンサー部)。ソーナーは、以前当ブログで掲載したHDSのようだ。

関連エントリ:今年最後の大捜索、ソナーと水中ロボットROVも投入。しかし・・・

「しれとこ」型は順次更新されており残り少なくなってきた。同型に所属する「まつしま」も解役される日は近いだろう。震災不明者の捜索が最後の大仕事、奉公となるのではないだろうか。

大震災1年2か月 行方不明者の集中捜索

このうち釜石港では警察官と海上保安官あわせておよそ80人が出動式を行い、湾内には巡視船が出て、潜水士6人が深さ16メートルほどの海に向かいました。きょうは波が高く海中の視界も悪い中での捜索となりましたが潜水士たちは何とか不明者の手がかりを見つけようと潜水を繰り返しました。巡視船きたかみの宮本順之船長は「我々海上保安庁としては引き続き行方不明者をご家族の元へ早く戻したいと考え、一所懸命我々にできることを今後もずっと続けていきたい」と話していました。

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上記ニュース映像で写っているオレンジ色のボートは巡視船「くりこま」の潜水支援艇(PL06-M1)だ。同船は当直のみの停泊時に津波が襲来、そのまま流され座礁した。船底などの損傷は厳しかったが、長い修繕工事から復旧し今ではこうして捜索作業に当たっている。くりこま潜水班は本船が被災し運用不能となっても被災直後から捜索救援活動を実施していた。

巡視船「きたかみ」(PM02)は地震発生とともに緊急出港するも、釜石湾内で津波に遭遇。懸命の操船で切り抜けた。その時の緊迫した船内のやりとりも映像に残されている。同船も「まつしま」と船齢が近いため解役は、そう遠くない。

東日本大震災:釜石、大槌湾内で行方不明者を集中捜索

 釜石港で全員が海上を向いて犠牲者に黙とうをささげた後、湾内の沿岸部や河川などを陸と海から捜索した。釜石海保は巡視艇を出し、宮城海保から出向の潜水士チームも加わった。釜石市の公共ふ頭近くの海底を捜索した潜水士の小野寺真人さん(26)は「視界は約1メートルと良好とはいえないが、行方不明者をなんとか見つけ、お帰ししたいという気持ちです」と話した。捜索で、運転席がつぶれた状態の車を発見、車検証を引き上げた。

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岩手県警釜石署と釜石海上保安部により、実施された東日本大震災・行方不明者の合同集中捜索を前に、
海上に向けて黙とうをする捜索員ら=岩手県釜石市港町の釜石港官庁専用桟橋で2012年5月11日、高尾具成撮影



海保と警察の捜索活動は、震災から1年を機に各地で順次実施されている。先月、報じられている捜索活動の一部だけで以下の通りだ。

海保、県警合同で懸命の捜索 震災月命日に

釜石海上保安部と県警は東日本大震災の月命日の11日、陸前高田市などで行方不明者の集中捜索を行った。震災から1年1カ月、県内では今なお1225人が行方不明(11日現在、県警まとめ)。被災者は帰らぬ家族を切実な思いで待ち続ける。職員らは「不明者がいる限り、震災当初と変わらぬ思い」と懸命に活動したが、この日は新たな発見に至らなかった。

 海保は巡視船など4隻、35人態勢で活動。陸前高田市の広田湾ではソナーで海底を探り、車や家屋らしき物体の場所を記録しながら捜索を続けた。

 釜石海保警備救難課の阿部富二専門官は「一人でも多くを家族の元に帰したい」と思いを込めた。

 県警は宮古署42人、大船渡署35人態勢で、同市と大船渡市、宮古市、山田町で海沿いの陸地を中心に、小さな岩やがれきの裏などを丁寧に調べた。一方井文彦宮古署長は出動式で「被災者の気持ちに応えるよう、懸命に取り組んでほしい」と激励した。

 今月上旬の低気圧通過で海が荒れたことから、新たな発見も期待されたが、同日は見つからなかった。


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【写真=ソナーを使い、海底を捜索する釜石海上保安部職員
=11日、陸前高田市・広田湾】


東日本大震災:行方不明者の一斉捜索行う--南相馬・小高区 /福島

毎日新聞 2012年04月24日 地方版

 県警は23日、警戒区域解除後、初めて南相馬市小高区で、福島海上保安部も加わり、行方不明者の一斉捜索を行った。

 捜索範囲は津波被害を受けた新地町からいわき市までの沿岸部。満潮と干潮の差が大きい大潮期間中を狙い、干潮時間帯(午前11時前後)に約120人を動員した。


1年ぶり、大沢漁港周辺の海中捜索 気仙沼・唐桑

 宮城県気仙沼海上保安署などは24日、東日本大震災の行方不明者捜索の一環として、気仙沼市唐桑町の大沢漁港周辺で約1年ぶりとなる海中捜索をした。
 近くの小原木地区で6人が行方不明になっているという情報を元に、宮城海上保安部所属の巡視船「くりこま」のダイバー6人が潜水した。水温5度の海中を何度も潜り手掛かりを求めたが、この日は不明者は見つからなかった。
 潜水班長の藤田伸樹さん(37)は「まだ見つかっていない人は多くいる。物が見つかれば身元の判明にもつながるので、できる限り捜したい」と話した。25日も大沢漁港で捜索する。

2012年04月25日水曜日

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港内を捜索する宮城海上保安部のダイバーら

1年を越す月日が経っても、被災し大切な人を失った人々には何の節目にもなりはしない。しかし、そうした月日を捜索に当っていた海保にとっては一年は一つの契機となった。事実上の捜索体制の縮小である。

震災不明者捜索、全国の海保巡視船派遣は終了へ

 海上保安庁は21日、東北沿岸部で実施している東日本大震災の行方不明者捜索について、全国各地からの巡視船艇などの派遣を今月中に打ち切り、4月以降は宮城県塩釜市の第2管区海上保安本部が単独で継続すると発表した。

 海保は震災発生以降、最大で1日あたり巡視船艇54隻、航空機19機を投入して東北沿岸の1024か所を捜索。これまでに395人の遺体を収容し、うち52人を潜水捜索で発見した。今後は、2管本部の巡視船艇20隻、航空機5機程度で捜索を続けるという。

 派遣終了は、東北沿岸の全港湾で捜索を行ったことや、尖閣諸島周辺の領海警備などに船艇を振り分ける必要があることから決まった。鈴木久泰同庁長官は21日の定例記者会見で、「まだ多くの行方不明者がおり、震災対応の柱として、今後も捜索を続けていきたい」と話した。

(2012年3月21日20時17分 読売新聞)

米軍、自衛隊、消防援助隊、警察広緊隊が順次任務終了、撤収する中、全国からの派遣を長らく維持し続けた海保もようやくその体制を終了した。他の機関に比べ人員規模が小さい海保にとっては驚異的な派遣期間だったといえる。これは津波という沿岸部における大規模な災害で行方不明者の大部分が海にさらわれたと考えられている点や、地元を管轄する第二管区海上保安本部自身が深刻な被害を受け本来になうべき通常の任務を維持できなくなってしまっていたことなどが挙げられる。実際、行方不明者の捜索活動だけではなく、哨戒活動や洋上救急待機などの業務も派遣巡視船は行っていた。一方で、他の管区での任務が減ることはない。そのため潜水士や指定船の不足のほか、特に尖閣諸島などの哨戒警備活動でも支障が懸念されていた。派遣され捜索に当っている潜水士や乗員などの海上保安官には継続したいという真情も合ったかもしれない。

しかし、事実上の体制縮小である反面、これは二管が復旧しつつあるという兆しでもある。




本来、震災から1年ということで2ヶ月前にはこうしたエントリを作成してアップしておくべきだったのだが、年度末であったため叶わなかった。そこで、遅ればせながら3月までに報じられた被災地での海保の活動と、震災から10ヶ月目に準備していたエントリ内容をここに掲載する。

3・11東日本大震災から1年 あの日、あの時から-

その日、なついは定期整備中で、坂本さんは非番だった。同僚の送別会のため、待ち合わせ場所となった小名浜の庁舎に自転車で向かう途中、突如、歩道の植え込みに放り出された。一瞬、何事が起きたか理解できなかった。顔をあげると道路がうねり、電柱や建物が大きく揺れている。近くのカラオケ店から女性が飛び出し、恐怖におびえ泣き出した。
最悪の事態を考え、急いで巡視船へ。息を切らして船に着くと、近くの庁舎から避難を呼び掛ける声が聞こえた。「津波が来てる。退避しろ!」。急いで庁舎に駆け上った。
 長く苦しい闘いが幕を開けた。人命救助に乗り出そうとするが、沿岸は漂流物や海底に異状物があるために船が近寄れず、事前に陸上から踏査をしなければならない。坂本さんは志願した。地元出身で地の利がある、ぜひやらせてほしい――。
想像を絶する光景が広がる中、がれきの山をかき分ける。先に到着した自衛隊が、泥にまみれ息を引き取った犠牲者の顔を優しくふき取る。壮絶な現場。多くの遺体と向き合った。そして東京電力福島第一原子力発電所事故。目に見えない恐怖と闘いながら、1週間、2週間、そして1カ月と現地を踏査し、仲間に貴重な情報を伝え続けた。海保の活動の裏には、坂本さんたちの努力があった。




東日本大震災から11カ月 不明者いまだ3300人

 東日本大震災は11日で発生から11カ月。連日氷点下に冷え込む被災地で、警察や海保などは懸命な捜索活動を続けているが、10日時点で行方不明者は、岩手、宮城、福島など6県でなお3305人に上る。

震災11か月 不明者捜索続く

捜索に先だって、津波で警察官が殉職した陸前高田市の交番の跡で黙とうし、このあと警察官が砂浜や河口付近の茂みなど、目の行き届きにくいところに手がかりになるものがないか捜していました。
また、海上保安部は巡視艇や小型のボートを出して、海上からの捜索にあたり、午後からはダイバーが水中に潜って捜索を行うことにしています。
岩手県警察本部によりますと、県内では10日現在で1316人の行方が分かっていません。



岩手沿岸で行方不明者を合同捜索 県警と釜石海保

 捜索には鹿児島と横浜から応援に来ている巡視船2隻が出動し、海保の潜水士や大船渡署の警察官ら約90人が参加。警察官は陸前高田市から大船渡市にかけ海岸線を中心に徒歩で不明者を捜し、潜水士らは沈んだ車両など海中を中心に捜索したが、遺体は見つからなかった。

 釜石海保によると、震災の発生から1月末までに、延べ608回の潜水活動を実施。全国からの応援を含む延べ3702人の潜水士らが活動し、130人の行方不明者を発見した。

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 海中を捜索する海上保安庁の潜水士=11日午後、岩手県大船渡市

震災2遺体発見 大船渡と釜石で

 大船渡市と釜石市で9日にかけ、東日本大震災の行方不明者とみられる遺体2体が相次いで見つかった。県警が身元の特定を急ぐ。

 釜石海上保安部によると、大船渡市の大船渡港で8日午後、海上保安庁潜水士が海底に沈んでいた車の中に遺体を発見。9日午後に車を引き揚げ、遺体を大船渡署に引き渡した。

 車は大船渡魚市場の北約140メートルの、水深約2メートルの海底に沈んでいた。遺体は後部座席に横になった状態だった。成人とみられるが性別は見分けがつかず、着衣はぼろぼろの状態だった。10日以降に司法解剖を行う。



【震災】今も3200人不明 大川小周辺で大規模捜索

 捜索は、警察や海上保安部など合わせて200人態勢で行われています。宮城・岩手・福島の被災3県では、現在も3200人余りが行方不明です。児童の7割が犠牲となった大川小学校の近くでは、約100人がせき止めた川の底に堆積した泥をかき分けるなどして捜索にあたっています。捜索態勢は半年を節目に縮小していて、20日の捜索は大川小の保護者の要望を受けて実現しました。


東日本大震災:岩手・釜石市の要請で4機関一斉捜索

 東日本大震災1年を前に20日、岩手県釜石市で行方不明者の一斉捜索が始まった。「一人でも多く家族の元に」と市が海保、港湾事務所、警察、消防に要請し、初めて4者による150人体制の合同捜索となった。29日まで続けられる。

 同市港町であった開始式で野田武則市長は「行方がわからない人も多くいる。家族の期待に応えたい」と述べ、海保の潜水士が水温3度の海中に潜った。同市では現在も159人の行方が分からない。



釜石港中心に集中捜索

東日本大震災発生1年を前に、釜石海上保安部は20日、釜石市内で行方不明者の集中捜索を始めた。

 海保職員らが同市港町の公共埠頭(ふとう)で黙とうした後、ダイバー7人が釜石港の魚市場周辺の海中を捜索。同港は漁船や貨物船の往来が多いため、海保はこれまで市内のほかの港や海岸での捜索を優先していた。捜索は今月末まで、釜石港を中心に行われる予定。

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釜石港内で行方不明者の捜索をする海上保安官ら(20日)

「3.11」を前に 釜石で行方不明者の一斉捜索

 一斉捜索は釜石海上保安部、釜石署、国土交通省釜石港湾事務所、釜石大槌地区消防本部、釜石市の5機関、計約150人態勢で行う。釜石港公共埠頭(ふとう)であった開始式で、野田武則市長は「市の行方不明者は、いまだ159人に上る。家族の期待に応えてほしい」とあいさつした。
 初日は、これまで捜索していない釜石港公共埠頭北側の海底を中心に実施。釜石海保と応援の横浜海保の巡視船など4隻とヘリコプターが出動し、潜水士7人が海に潜った。横浜海保の潜水士坂上悠さん(25)は「一人でも多く家族の元に返せるよう、一生懸命頑張る」と話した。


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行方不明者を捜索する潜水士ら=20日午前9時45分ごろ、釜石港

写真に写されている高速警備救難艇は巡視船「いず」(PL31)搭載のものだ。おそらく震災発生一年を前に海保としては総力を挙げて捜索活動を行ったのだろう。「いず」は3管所属の災害対応型巡視船であると同時に、最大の救難強化指定船でもある。

こうした捜索活動の結果、ふたたび遺体発見に至った。

震災犠牲者か、海底に遺体 大槌・船越湾

 23日午後2時40分ごろ、大槌町の船越湾の水深約13メートルの海底で、海保の潜水士が遺体を発見し、釜石署に引き渡した。同署は東日本大震災の行方不明者の可能性もあるとみて身元の特定を急ぐ。

もちろんこうした活動を行ったのは「いず」だけではない。下の記事からは鳥羽海保の「いすず」が派遣されていたことが分かる。

【釜石】不明者発見へ懸命に 一斉捜索が終了

 東日本大震災発生から丸1年を迎えるに当たって大規模に行われた釜石市の行方不明者一斉捜索は29日で終了した。「絶対にあきらめない」と海保潜水士らが身を切るような寒さの中、海へ潜り続けたが、20日からの期間中は大きな成果は上がらなかった。今後も通常態勢で手掛かりを捜す。

 鳥羽海上保安部(三重県鳥羽市)に所属する巡視船「いすず」の潜水士8人は、釜石港北側の岸壁付近で約300メートルに及ぶ範囲で捜索。8人は船上で位置などを確認した後ゴムボートに乗り込み、勢いよく海中へ飛び込んだ。

 水温2・4度の海中を深さ15メートル近くまで潜った小木曽健潜水士(33)は「とたんや家財道具などのがれきが見えた。一人でも多くの方を見つけられるよう、しっかりと捜索を進めていく」と力を込めた。

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【写真=捜索前に入水方法や潜水位置について確認し合う巡視船いすずの潜水士=釜石市・釜石港】

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tag : 海上保安庁 巡視船 高速警備救難艇 東日本大震災 海洋情報部

2012-05-11 : 東日本大震災 : コメント : 2 : トラックバック : 0
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沖ノ鳥島大陸棚延長での真の「功労者」

沖ノ鳥島の大陸棚延長はうれしいニュースとしてネットでもてはやされている。もっともその内容や意味までがきちんと理解されているとは言いがたい。

むしろ手柄探しのネタとされているといってもいい。

沖ノ鳥島「大勝利」でネット歓喜 「野田の成果」「いや麻生のおかげ」

26日には国際水路機関(IHO)総会で、「日本海」単独表記の維持が決まったばかりだ。立て続けに日本の「威信を守った」格好の現政権に対し、

「また野田の成果かw」
「意外と日本の外交は優秀なのか」

と評価する声が上がる一方、今回の申請は2008年の麻生太郎政権時代にされたことから、

「民主党の手柄じゃないぞ。麻生政権時代の手柄だぞ」
「大陸棚拡張は麻生政権の成果」

と主張する人、はたまた視察や魚礁の設置など沖ノ鳥島問題に積極的にコミットしてきた石原慎太郎・東京都知事こそが影の功労者だとする説も飛び出していた。

結局のところ「殊勲甲」は誰なのか。自民党の佐藤正久・衆議院議員はツイッターで、

「『島か岩かの議論は別にやろう』と大陸棚認定議論から切り離した外務省の作戦勝ち」

と評している。

「野田」?「麻生」?「石原」?そのどれも功労者とは言いがたい。「外務省」?最終的な交渉をやったかもしれないが、この大陸棚延長問題で大きな役割を担ってきたわけではない。全く的外れな評価だ。

大陸棚延長の申請は、実際にその海域の海底を調査した結果なされるものだ。では誰が、どの機関が中心となってその調査を行ってきたか。このブログに来ている皆様は当然ながらご存知だと思う。


海上保安庁海洋情報部だ。

サイト内でその作業の様子を写真入で解説している。

~大陸棚の限界画定のための調査~

大陸棚調査では、一度船が出港すると、約一ヶ月間は海上での生活が続きます。日常生活とはかけ離れた過酷な環境下での調査ですが、私たちの子孫に夢を残すべく、数多くの海洋調査の専門家が日夜奮闘しています。
 政府を挙げた取り組みがますます強化される中、海上保安庁においても、今後とも大陸棚調査に貢献していきます。

大陸棚調査の日常 ~約一ヶ月間続く船上における調査~

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大時化の中、大きく傾く測量船。
それでも、測量船の後方から多数の観測機器が曳航され、調査が継続されています。


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地殻構造探査で必要となる屈折波受信器(海底地震計)を整備する乗組員。
繊細な整備が必要とされる観測機器ですが、高度な技術が必要なだけではなく、揺れる船上では強力な集中力が必要です。


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大きな重量を持つ観測機器を釣り下げて、後方から流そうとしているところ。
揺れる船上では一瞬のミスが大けがにつながる、大変危険な作業です。



海上保安庁が大陸棚調査に取り組んでいたのはここ数年の話だけではない。昭和58年からの30年近い取り組みである。

特集 新たな海洋立国に向かって > III 広がる日本の「海」 > 1.「大陸棚」を広げる

■大陸棚調査に関する年表
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大陸棚延長申請のための調査が完了した今でも海洋情報部の苦労は絶える事がないが、この調査に取り組んだ当初の苦しみはさらに大きかった。当時の事情については当ブログコメント欄の常連でもあるHMS氏のブログに詳しい。

大陸棚調査前夜物語(前編)

 1982年は、国連海洋法条約が採択された年であり、国内では折しも増税なき財政再建を目指して第二次臨時行政調査会(通称:土光臨調)が大胆な行財政改革を提言し、運輸省も組織再編を迫られていた時期である。水路部の海洋調査の仕事は翌年からの大陸棚調査、新型測量船「拓洋」の運用開始など組織的に大きく変わることが要請されていた。だが、その調査組織は、測量課、海象課、編暦課など旧海軍水路部以来の専門分野ごとに縦割りのままだったので、新たな海洋新時代に向けて調査対象海域ごとに組織体制を整備し直す必要があり、運輸本省に先駆けて組織再編に着手した。

 ここで一つ問題がある。予算が認められれば、関係する政令・省令・訓令全てを改正する必要があるので、行政組織の改正事務などに精通した上級職の事務官が欠かせない(ノンキャリアでは無理)のだが、水路部は技術系職員の集まりであり、特に水路部には本問題の実務を担うべき補佐官以下には上級職の事務系職員が皆無であった。これでは円滑な準備ができないことから、寺島課長が本庁総務部の辻課長に掛け合い、本庁からの応援を求めたところ、総務部および警備救難部から岩崎氏(前海保長官)、鷲頭氏(駐スロバキア大使)、与田氏(元内閣官房大陸棚調査対策室長)の3名が水路部に派遣されてきた。

 こうして組織改正作業が始まり、担当者は時には築地の水路部庁舎に泊り込んだりして、寝食を忘れて組織改正に取り組んだ。熱気あふれる若手チームの中には大島氏や加藤氏など後の歴代海洋情報部長の顔もあった。当時を知る関係者の述懐によれば、監理課職員は休息も休日も返上し、中には鈴木監理係長(現:水路協会常務理事)のように自宅に帰ったのが1月で4回だけなどという方も居られたという。そしてこの組織改正は、希望通りの形で認められ、新しい水路部が誕生した。

大陸棚調査前夜物語(後編)

 さて、1983年の組織改正の際に新たに認められた組織のひとつに大陸棚調査室がある。この大陸棚調査の開始を推進した立役者の一人が、組織改正を当時水路部監理課総括補佐官として推進されていた大島氏である。大島氏は、大陸棚調査室設立とともに初代室長となって大陸棚調査の陣頭に立っていた。

 大陸棚調査室設立と同時に竣工した新型測量船「拓洋」は慣熟航海もそこそこに83年10月より大陸棚調査に従事したが、慣熟航海の短さが祟って最新の調査機器に初期故障が頻発し、船務・測量作業に加えて初期故障への対策にも追われ(データを取ってこられなければ、その航海はほとんど無駄になる)、時期柄台風にも見舞われていた。陸上班は陸上班で「拓洋」との連絡やメーカーへの修理手配や打ち合わせなど、陸海共同の忍耐と努力によって問題を克服していった。

 このような大陸棚の限界確定や領海基線確定には国連やIHO(国際水路機関)が共同でガイドラインの策定を行う必要があり、自国の権利を主張するためにもニューヨークやモナコに赴いて会議や作業に参加する必要があったのだが、なんと水路部には外国出張旅費が予算上認められていなかった。それまでは必要になるたびに無理くり捻出していたそうであるが、ここで以前に水路部組織再編で派遣されてきた鷲頭氏が本庁主計課長として就任した。大島氏はこれが機会とばかりに国際会議への参加の重要性を鷲頭氏に直訴し、同氏の尽力もあって晴れて水路部に外国出張旅費が認められたそうである。

驚くべきことに、当初は国際会議や作業部会に参加するための海外出張旅費すら認められていなかったのである。

こうした組織改変の結果、海上保安庁水路部(海洋情報部)は大陸棚調査に取り組むことになったのだが・・・苦労は続くのであった。

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tag : 海上保安庁 海洋情報部 測量船 JAMSTEC JOGMEC EEZ 沖ノ鳥島

2012-05-05 : 沖ノ鳥島問題 : コメント : 7 : トラックバック : 0
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国家海洋局が日本の無人島の中国名を発表、海保調査にも警告

総合海洋政策本部の働きを久々に見た気がする・・・

政府、無名の39離島に命名 海洋資源確保で

 政府は3日までに、日本の排他的経済水域(EEZ)の基準となる島のうち、無名だった39の無人島の名称を決定した。海洋資源確保などの観点からEEZの重要性が高まっていることを踏まえた措置。地図や海図に明記する方針だ。

 内閣官房総合海洋政策本部の発表によると、命名されたのは沖縄県石垣市の北西小島など39島。このうち北西小島など4島は、2010年9月に中国漁船衝突事件が起きた沖縄県・尖閣諸島周辺にある。

ついに正式な名称のなかった無人島に名前が付けられることとなった。日本語の呼称が存在することによって海上保安庁海洋情報部が作成する海図にもその名前が記載され、対外的にもEEZの基点としても説明しやすくなる。

排他的経済水域(EEZ)外縁を根拠付ける離島の地図・海図に記載する名称の決定について

 排他的経済水域の外縁を根拠付ける離島について、保全・管理を適切に行うとともに、国民の理解に資するため、それら離島に付されている名称を確認し、名称が不明確な場合には関係機関協議の上、名称を決定し付す。あわせて地図・海図等に明示し、統一した名称の活用を図る。

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この動きに対して、中国は早速対抗措置を取った。中国名の発表である。

中国、尖閣一帯71の島に中国語名 日本の動きに対抗

 中国国家海洋局と民政省は3日、東シナ海の尖閣諸島(中国名・釣魚島)と周辺の計71の島々について、中国語の公式名称をつけたと発表した。日本政府が尖閣諸島周辺の無人島に名前を付けたことに強く対抗するものだ。

 国家海洋局の公式サイトは「我が国の海域の島々で名称を標準化した」とし、71の島々の名称の一覧表を掲載した。「標準化」は俗称などを統一したり、無名の島に新たに命名したことを指すとみられる。


国家海洋局 民政部受权公布我国钓鱼岛及其部分附属岛屿标准名称

これは「海島保護法」に基づく処置だという。同法は無人島を政府に帰属させ統一的に管理することを目的とした法律で、南シナ海や東シナ海での領有権確保を念頭に置いたものだとされてきた。日本側はこの中国の国内法成立を警戒して、遅ればせながら無人島の管理を強化することとなったわけだが、今回の動きに限って言えば中国が後を追う形となったわけである。

 もっとも日本の無人島命名は尖閣諸島周辺に限った話ではなかったのだが、中国側が尖閣諸島周辺を標的として対抗してきたことは彼らの狙いがなんなのかを如実に示したといえる。しかも、日本側が日本各地の39個の島であるのに対し、中国側は尖閣諸島周辺のみにもかかわらず71個だ。おそらく、明らかに島には見えないようなものまで命名しているのだろう。ひょっとしたら島の実在すら危うい。

 先月より、日本の無人島命名に反対する意思表示として、議員要職経験者が代表を務める日中友好団体との会談をキャンセルするなどしてきたが、さらに具体的な対抗策を打ち出してきたわけである。

無人島命名で会談応じず 中国主席、日中7団体と

 中国の胡錦濤国家主席が、沖縄県・尖閣諸島周辺を含む無名の無人島の名称を確定させるとの日本政府の方針への不満を理由に、17日に予定していた日中友好7団体代表団との会談には応じられないと団体側に通告したことが10日、分かった。複数の日中関係筋が明らかにした。

 直前の会談キャンセルは外交上、極めて異例。中国側は共産党序列4位の賈慶林全国政治協商会議主席が代わりに会談に応じるという。

 7団体は「日中友好協会」(会長・加藤紘一自民党元幹事長)、「日本国際貿易促進協会」(会長・河野洋平前衆院議長)や「日中友好会館」(会長・江田五月元参院議長)など。

友好関係が危ういからこそ話し合うべきなのだが、日本が中国側の要求に従わない限り会う必要すらないということなのだろう。


ちなみに、この件では台湾からも抗議の申し入れがあった。

尖閣諸島の無人島命名で抗議 台湾

台湾の外交部(外務省に相当)は2日夜、沖縄県・尖閣諸島周辺を含む無名の無人島に命名するとの日本政府の方針について、馮寄台駐日代表(駐日大使)が同日、日本側の対台湾交流窓口機関、交流協会の畠中篤理事長に対し、厳正に抗議した、と発表した。「(日台の)関係に影響を及ぼさないよう自制を求めた」としている。




そして中国はさらに強硬な姿勢を示してきた。

いわば海上保安庁に対する「宣戦布告」「最後通牒」とも言える発表である。

中国「東シナ海の監視強化」 日本の調査に警告

 中国国営新華社通信によると、中国国家海洋局当局者は2日、「日本の違法な調査活動を阻止するため、東シナ海の監視を強化する」との方針を明らかにした。

 当局者は「日本側の行為は中国の主権を侵害しており、国連海洋法条約と中国の関連法に違反する」と主張。「中国政府の許可なく日本が一方的に調査することを認めない」と強調。日本が調査活動を止めなければ、「結果に対する責任を負うことになるだろう」と警告した。


「調査活動の阻止」「監視強化」はすなわち、南シナ海でベトナムに行ったように船艇での「文字通り」の衝突を匂わせるものだ。もしくは、米海軍測定艦インペッカブルの時の様に漁船を利用して包囲妨害するとでもいうのだろうか。

自己中心的独自解釈やダブルスタンダードの総本山でありながら「国連海洋法条約に違反する」とはよく言えたものだ。おまけに、日本は「結果に対する責任を負うことになる」とご丁寧に脅し文句まで付け加えている。まるで、南北会談で韓国を脅す北朝鮮代表のような口ぶりである。

表面だけを見てみれば海監と海上保安庁は一触即発の状態だ。だが、現在の日本政府・民主党野田政権はそのような万が一の事態に備えているのだろうか?特に戦略もなく、予定されていた政策をベルトコンベヤに乗せているだけではないだろうか?

もう「想定外だった」では許されない。 このエントリーをはてなブックマークに追加

tag : 海上保安庁 海洋情報部 測量船 中国 国家海洋局 海監 EEZ

2012-03-03 : 尖閣諸島問題 : コメント : 3 : トラックバック : 0
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引っ越しで貴重資料を、海底で生命誕生の秘密を見つける海洋情報部

海上保安庁の施設から「お宝」が出た、というニュースが先月報じられていた。
埋蔵金や石油が出たわけではない。歴史的資料という意味で、極めて貴重な「お宝」が発掘された。

海洋情報部の「倉庫」から、である。

いや、貴重なのは分かるが、「何度目だ」と思っている人もいただろう。

ちなみに発見されたのは、日本最初の海図やペリー艦隊の測量図、さらには軍機海図などである。

日本初の水深図発見=機密海図やペリー測量図も-海保倉庫から、公開へ

 海上保安庁の東京都中央区の施設から、日本初の海図に使われた明治初頭の岩手県釜石港の水深図や、昭和初期の商船の交通量を示す旧日本海軍の機密海図などの歴史的資料が大量に見つかった。
 同庁海洋情報部の移転に伴い、財団法人「日本水路協会」が2010年度から資料を整理する中で発見し、約1万3500点をデジタルデータ化した。海洋情報資料館(東京都江東区)で25日から閲覧できる。特に貴重な約190点はインターネットで公開する。

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日本最初の海図である『海軍水路寮 第一号海図 陸中國釜石港之図』

この海図第一号については海洋情報部で解説されている。

「海図」第1号は?

記念碑が平成6年に設置されていることから、今回発見される以前から同じものを持っていたのだろう。まぁ、海図だから当然だろうが。

この記念碑、釜石市の大観音広場に設置されているというが、震災で周囲の風景や海底地形、水深がどれだけ変わってしまったかと思うと複雑な気持ちになる。

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商船交通量を示した軍機海図

日本初?の水深図発見 明治の釜石港、公開へ

 海上保安庁の東京都内の施設から、日本初の海図の基になった明治初頭の岩手県釜石港の水深図など歴史的資料が多く見つかったことが19日分かった。海保は「この水深図も日本で初めてとみられる」としている。

 海保によると、釜石港の水深図は「日本の海図の父」とされる旧海軍初代水路局長の柳楢悦らが、1871(明治4)年に測量。この水深図を基に日本初の海図が刊行された。

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ペリー提督らが作成した東京湾の測量図か、その写しとみられる図


発見された経緯や他の貴重資料については日本財団ブログで紹介されている。日本財団は海洋情報部と日本水路協会による大掃除倉庫資料整理を支援し、電子化も助成している。今回発見された資料の中でも特に貴重なものが5つあげられている。

日本初の水深図など歴史的資料 海保倉庫から多数発見

資料整理を担当した水路協会の熊坂文雄調査研究部長によると、今回見つかった中で貴重な資料は①明治5年9月と10月に刊行された釜石港海図、宮古港海図の基になった日本海図の父といわれる柳楢悦らが測量したといわれる銅板の釜石港水深図(明治4年9月)と宮古港水深図(同年8月)②関東大震災後に海上保安庁が実施した相模湾の状況を示す水路要報③ペリーが1853年に測量し、米国で出版された東京湾の海図④手書きの古地図(江戸時代前期に作成された伊勢国割地図を基に描かれ、その後携帯用地図の基図に使われたものらしい)⑤明治24年刊行の「天図」(全天球の季節ごとの星座の位置を記入し、夜の航海に使用する)、大正8年刊行の「星図」(星や星雲などの位置、明るさなどを平面に描いたもの)―などがある。

いくつかは上記記事でも掲載されていたものだ。

ちなみに、②の「関東大震災後に海上保安庁が~」のくだりは海軍水路部の間違いだと思われる。海保が測量すればどの時代であっても「関東大震災後」なわけだが、その直後の文章で「測量艦」とある。

このうち関東大震災の直後の相模湾については測量艦松江、武蔵など4隻が鉛を使った錘測という方法で調査した。最高で250メートル隆起する一方、300メートルも沈下した場所もあり、巨大地震によって同湾の水深がかなり変化した実態が赤と青の数字で記されている。



これらの資料は電子化され一部はインターネット上のwebサイトでも閲覧可能だ。

海図アーカイブ

今回、公開された資料の中には復元されたものの海図のように電子化されなかった、いや、できないものがある。

それは、カールツァイス社製「ステレオ・プラニグラフC5型」一級測量図化機だ。

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復元された測量用一級図化機(左が熊坂さん)

1月19日付の海上保安新聞1面で詳細に紹介されていた。

図化機というのは、2枚の航空写真から等高線や道路などを作図する機械で特に精度の高いものを一級図化機としているという。このC5型機は高さ約2メートル、幅約1.6メートル、奥行き約2メートル、重さ約1トンの鉄製。

旧庁舎倉庫で発見された同機は、昭和15年に潜水艦によってドイツから輸入され、戦中は戦火から逃れるために各地に疎開していたという。戦後、水路部(現在の海洋情報部)が2回ほど使用した記録が残っているが、安価で使いやすい同等機の普及により解体され倉庫に保管されていたらしい。今回「発見」されたことにより日本財団の助成金を使って復元されることになった。部品の洗浄や組み立てを担当したのは測量機器販売の「サンケーエンジニアリング」は設計図がない状態で経験や勘を駆使して組み立てたという。

C5型機は今回復元されたものとドイツの1台しか現存していないとのことだ。


ちなみに、どうしてこの海洋情報部の「宝物殿」が御開帳になったかというと、庁舎が引越したからに他ならない。

海洋情報部庁舎の移転について

海上保安庁海洋情報部 新庁舎披露会

海上保安庁海洋情報部の新庁舎訪問

移転に伴って資料整理が行われ、その際に発見されたものや、新庁舎に併設される海洋情報資料館に展示するために復元整理されたのである。この資料館にはC5型以外にも潮候推算機と呼ばれる貴重な機械が展示されている。

測量・地図の展示館

実はこの庁舎、移転直前に東日本大震災で火災被害の憂き目に遭っている。都内の被害映像として繰り返し放映されたため建物そのものは覚えている人もいるかもしれない。

関連エントリ:海上保安庁海洋情報部庁舎(仮称)も被災か

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海上保安庁などによると、11日に東北地方を中心とした大規模な地震で、同庁の海洋情報部などが移転を予定していた
建設中のビル(東京・江東)で火災が起きているとの情報がある。同庁は今後、情報を確認する方針だ。

移転後に火災になり貴重資料が被害にあっていたらと思うと、ぞっとする。もっとも火災原因は工事機材だろうからその危険性は低かっただろうが、想定外の自体が起きたのが先の震災である。


さて、冒頭で「何度目だ」といったのは、実はこの海洋情報部の倉庫、度々貴重資料の「発掘」が行われているからだ。
掃除や倉庫の整理をするたびに「発見」されていたのだろう。
「伊能図」や「戦前の航空写真」、「戦中の高度方位暦」・・・まだまだあると思っていたが、今回の引越で総決算となったわけだ。

幻の伊能忠敬「伊能大図」4枚、海上保安庁の倉庫で発見(TBS news-i 2004/7/1 記事消滅)

 江戸時代の測量家、伊能忠敬が作った最古の日本地図の模写のうち、これまで所在が分からなかった4枚が、海上保安庁の倉庫から見つかりました。

 見つかったのは、江戸時代に最初の日本地図を作った測量家、伊能忠敬による「伊能大図」の模写4枚で、北海道の「宗谷岬」や今の京都・大阪周辺の「山城摂津河内」などの地図が 描かれています。
 
 これまで全く所在が分からず、幻の4枚と言われていましたが、東京・築地の海上保安庁の倉庫から 今年5月、見つかりました。「伊能大図」は214枚からなる最も古い日本全土の地図ですが、原画のほとんどは明治初期の火災で焼失していて、模写の大半が アメリカの議会図書館に保管されています。



約70年前の東京を収めた航空写真地図発見・現存最古か(日経 2004/7/3 記事消滅)

 東京区部のほぼ全域を撮った昭和8年(1933年)刊行の航空写真地図「大東京鳥瞰(ちょうかん)写真地図」が、このほど海上保安庁で見つかった。
これほど広範囲を収めた航空写真地図は、現存では日本最古とみられる。今はビジネス街の皇居東側には文部、大蔵、内務の各省が並んでいた。



海保所蔵の「伊能地図」模写図、原本に最も近いと確認(読売新聞2007-02-02)

江戸時代後期の測量家、伊能忠敬が作成した「大日本沿海輿地全図」の写しのうち、海上保安庁が所蔵する大図(縮尺1/3万6000)の模写図3枚が、最も原本に近いとみられることが確認された。

調査を行った同庁海洋情報部と「伊能忠敬研究会」が2日、発表した。



この「高度方位暦」にいたっては、倉庫内の本棚に積まれてあったというのだから凄いんだか酷いんだか・・・

戦時中の高度方位暦を海上保安庁の倉庫から発見 一般公開(山梨日日新聞 2010/8/14 記事消滅)

第2次世界大戦中、海上で現在地を特定するために、天体の高度を記した「高度方位暦」を山梨大大学院医学工学総合研究部の高橋智子准教授が、東京都中央区の海上保安庁の倉庫で発見した。

これまで戦時中の高度方位暦について記された資料はあったが、存在が確認されたのは初めて。

高度方位暦は14日から上映される県立科学館のプラネタリウム番組「戦場に輝くベガ-約束の星を見上げて」にも登場していて期間中、同館で一般公開する。

見つかったのは、1944年6月~45年9月に刊行された11冊。同庁前身の海軍水路部が作成したもので、日本軍の基地別に、太陽や月、星の高度が20分間隔で記されている。緯度別の3冊もある。

高橋准教授によると、戦時中、航空機の偵察員は「天測略暦」と「航空天測表」を用いて、海上の位置を特定していた。ただ、計算に時間がかかる上、計算ミスで帰還できなかったケースもあるという。

高度方位暦は、基地を基準にこの二つを用いて計算し終えたデータ集。現在地特定までの時間が短縮される一方で、基地から離れるほど精度は低下する。航空機の帰還用に作られたものだが、実際に使用されたかは確認されていない。

52年刊行の同庁水路部の80年史に高度方位暦の存在が記されていたが、実物は見つかっていなかった。戦争と科学の歴史について研究している高橋准教授が、同庁海洋情報部の倉庫の本棚上部に積まれているのを発見した。

高橋准教授は「刊行順に並べてみると、基地の数が少なくなり、位置も本土に近くなっている。戦況が厳しくなっていることが読み取れる」と話している。

「戦場に輝くベガ-」は2006年に制作された同館オリジナル番組。高度方位暦を作る女学生と爆撃機の偵察員との手紙のやりとりを軸に、戦争の悲惨さを描いている。今年は14~17日午後5時15分から上映。期間中に高度方位暦を一般公開する。

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【旧海軍:「高度方位暦」発見 自機の位置割り出す早見表】

初めて実物が確認された「高度方位暦」=甲府市武田の山梨大で、小林悠太撮影



だが「あの倉庫が、最後の一つだとは思えない・・・」


ちなみにこうした古い海図と海保海洋情報部が作成した最近の海図をあわせて地元に寄贈したりもしているという。

徳山港:海保が今昔図寄贈、周南市に 伊能忠敬作製も /山口

今年の徳山港開港90周年を記念して、徳山海上保安部が16日、江戸時代から現在までの同港周辺の地図3枚を収めたパネルを周南市に寄贈した。パネルは市長室に飾る。

 江戸時代に日本で初めて実測による日本地図を完成させた伊能忠敬が作った1806(文化3)年の同湾周辺の図と、1919年の海図、昨年作成した5万分の1の海図の3枚を縦90センチ、横125センチのパネルにした。

ただ、市長個人や役職に対して送ったのではなく市と市民に対してのものだから、市長室という見ることの出来る人が限られた場所ではなく、もっと広く市民が見ることの出来る場所に展示すべきだろう。日本国民の財産なのだから。


言うまでもないが、海洋情報部が様々なものを「発見」するのは倉庫だけではない。本当の意味ではこちらのほうが「発見」である。

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tag : 海上保安庁 海洋情報部 測量船 JAMSTEC 東日本大震災

2012-02-24 : 海上保安庁 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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海上保安庁がエクスプローラーAUVを導入!・・・一方、国産AUVは

昨年末に海保が導入するAUVが明らかにされた。

関連エントリ:海上保安庁に「潜水艇」が復活か・・・海洋情報部のAUV計画

ISEのエクスプローラーである。

Japan-Coast-Guard-Orders-Explorer-AUV-from-ISE.jpg

JAPAN COAST GUARD ORDERS ISE EXPLORER AUV

International Submarine Engineering Ltd. is pleased to announce that the Japan Coast Guard (JCG) has placed an order for an Explorer autonomous underwater vehicle (AUV). The vehicle will be used for marine search and recovery as well as survey operations.
The JCG Explorer will also be supplied with a light-weight self-articulating ramp based launch and recovery system which will be installed on one of their ships. This will enable the Coast Guard to launch and recover their AUV in an elevated Sea State. The launch and recovery ramp system is built by Hawboldt Industries of Chester, Nova Scotia.

2隻発注されたとのことだ。またエクスプローラーだけでなく発進回収用のシステムをカナダのHawboldt Industries社が製造し海保の測量船に装備するという。これにより荒れた海での発進改修も可能となる。同社はカナダ沿岸警備隊にも多数の機材を納入している。

Hawboldt Industries

hawboldt_ccg.jpg


23年度第4次補正予算で、海洋調査能力の向上として「拓洋」の延命工事と「昭洋」の搭載機器更新が前倒し実施されることになった。これに続く24年度予算によって「拓洋」にはAUVのための設備も搭載されるという。

平成24年度海上保安庁関係予算決定概要

○ 自律型潜水調査機器(AUV)の増強整備 528(0)百万円

海底地形等の精密なデータを取得することができる自律型潜水調査機器(AUV)の増強に要する経費。

○ AUV搭載のための大型測量船の改修 1,372(0)百万円

海洋調査の主力である大型測量船「拓洋」について、新たに搭載されるAUVのための設備改修に要する経費。

船齢から言えば「昭洋」の運用実績に基づき現「拓洋」を新型船で更新したいところだろうが、延命工事をしたうえにAUVを搭載せざるを得ないところに海保が引き続き厳しい予算状況に置かれていることを示している。



このAUV導入計画は精密な海底地形の調査を実施することによって、日本の領海・EEZの権益を確保することが目的だ。

海洋権益を保全するための海洋調査等の推進(海洋調査能力の向上)

HL_AUV.jpg


いまさら、海洋権益確保の重要性を説くまでもないだろう。むしろこの計画が行政事業レビューで一旦、予算圧縮されていたことのほうが不思議だといえる。

さてこのエクスプローラー、あまり聞きなれない方もいるだろうが、この業界(?)では有名で結構なベストセラーのようだ。有名たらしめているのが、低コスト運用で柔軟性が高く長期の自律行動が可能という点だという。

ISE develops & manufactures Autonomous Underwater Vehicles (AUVs)

活動範囲は300~6000メートルの間で調整でき、船体システムや搭載センサーを目的に応じてカスタマイズすることも可能。機材は曝露部のほか、対圧区画内の19インチラックにも電子機器とともに導入可能。ウェットペイロードにはサイドスキャンソナー、マルチビーム測深器、サブボトムプロファイラが装備されており、全て同時操作可能である。

当然、実績もある。代表的なオペレータとしてはフランス海洋開発研究所IFREMER(2隻)やアメリカ国家海洋大気局NOAAのプロジェクトに参加しているミシシッピ大学などがある。また、カナダ天然資源省も2隻導入している。海保の目的からいえば一番近い運用かもしれない。

EXPLORER Autonomous Underwater Vehicle

Explorer AUVs are owned and operated by the French research agency Ifremer (2 vehicles), the University of Southern Mississippi as part of a NOAA project, Memorial University of Newfoundland, the University of Bremen and Natural Resources Canada (2 vehicles).

Nasa.jpg
ミシシッピ大NIUSTによってNASAのLiberty Starに搭載されたエクスプローラー級AUV"Eagle Ray"

Explorer1.jpg 
IFREMERで運用されるエクスプローラーAUV

そして今年のデータシートには新たなオペレーターが追加されていた。

ISE Explorer Datasheet

…and Fukada Salvage and Marine Works.


通称「深サル」すなわち深田サルベージ建設である。同社は今や世界最大級の起重機船を使ったケーソン設置や橋梁建設をはじめとするマリコン事業で名が知られているが、国内の民間企業では珍しい有人潜水艇を保有した社名通りのサルベージ会社である。海保とのつながりでいえば東シナ海工作船事件において「沈没」した工作船の引き揚げに成功したことでも有名だ。

第十管区海上保安本部 管内概要 九州南西海域不審船事案

032.jpg


深田サルベージ
syashin.jpg 


実は同社は海保に先立って昨年前半に、エクスプローラーを2隻ISEに発注していた。

FUKADA SALVAGE ORDERS ISE EXPLORER AUV

ISE Ltd. is pleased to announce that Fukada Salvage and Marine Works Co. Ltd. has placed an order for an Explorer autonomous underwater vehicle (AUV). The vehicle will be used for commercial survey operations and is equipped with an EdgeTech 2200M sidescan sonar and sub-bottom profiler, an R2Sonics 2022 multibeam echosounder and a SeaBird FastCAT conductivity, temperature and depth sensor.

The Fukada Explorer will also be supplied with a light-weight self-articulating ramp based launch and recovery system which will be installed on one of their survey ships, the Shinkai Maru. This will enable Fukada Salvage to launch and recover their AUV up to Sea State 4.


データシートに加えられたのはこの2隻だろう。

そして、同社は今回の海保導入にもISEと組んで参加している。運用やメンテ支援を行うという。

ISE has partnered with Fukada Salvage and Marine Works Co. Ltd. of Osaka for the provision of local operations and maintenance support for the JCG Explorer AUV. ISE and Fukada Salvage have a long relationship; earlier in 2011 Fukada purchased an Explorer AUV for their own survey operations.

深サルがエクスプローラーを導入したのは自社の事業のためだけではなく、こうした運用委託・支援の受注も見込んでのことだろう。

工作船引き上げで活躍した有人潜水艇「はくよう」や今回のエクスプローラーを実際に運用している(することになる)のは、子会社の新日本海事だ。

エクスプローラーの発進改修装置も同社の作業母船に装備される。ひょっとしたら海保も必要時のみ同船を傭船するという可能性もある。

新海丸 多目的作業船 潜水艇はくよう作業母船

SKM2.jpg

同社は自社の事業でAUVを運用したり、運用委託を受けるだけでなく、ISEの代理店でもある。

新日本海事 業務案内

○システムエンジニアリング部

 海洋、並びに潜水機器の特別仕様に基ずく総合システムの設計、製造及び販売を行う。 カナダI.S.E社日本代理店。海洋研究開発機構へROVハイパードルフィンを納入致しました。

どうやらJAMSTECのROVハイパードルフィンもISE系だったようだ。

 こうしてみていくと、低コストで高性能、かつ国内サポートも問題ないAUVを海保は海外から導入するようにも見える。

だが、ここで一つの疑問がわいてくる。



国産のAUVはどこに行ってしまったのだろう、と。

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tag : 海上保安庁 海洋情報部 測量船 調査船 AUV ROV 海洋資源 海底資源 JAMSTEC

2012-02-24 : 海上保安庁 : コメント : 2 : トラックバック : 0
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