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沖ノ鳥島大陸棚延長での真の「功労者」

沖ノ鳥島の大陸棚延長はうれしいニュースとしてネットでもてはやされている。もっともその内容や意味までがきちんと理解されているとは言いがたい。

むしろ手柄探しのネタとされているといってもいい。

沖ノ鳥島「大勝利」でネット歓喜 「野田の成果」「いや麻生のおかげ」

26日には国際水路機関(IHO)総会で、「日本海」単独表記の維持が決まったばかりだ。立て続けに日本の「威信を守った」格好の現政権に対し、

「また野田の成果かw」
「意外と日本の外交は優秀なのか」

と評価する声が上がる一方、今回の申請は2008年の麻生太郎政権時代にされたことから、

「民主党の手柄じゃないぞ。麻生政権時代の手柄だぞ」
「大陸棚拡張は麻生政権の成果」

と主張する人、はたまた視察や魚礁の設置など沖ノ鳥島問題に積極的にコミットしてきた石原慎太郎・東京都知事こそが影の功労者だとする説も飛び出していた。

結局のところ「殊勲甲」は誰なのか。自民党の佐藤正久・衆議院議員はツイッターで、

「『島か岩かの議論は別にやろう』と大陸棚認定議論から切り離した外務省の作戦勝ち」

と評している。

「野田」?「麻生」?「石原」?そのどれも功労者とは言いがたい。「外務省」?最終的な交渉をやったかもしれないが、この大陸棚延長問題で大きな役割を担ってきたわけではない。全く的外れな評価だ。

大陸棚延長の申請は、実際にその海域の海底を調査した結果なされるものだ。では誰が、どの機関が中心となってその調査を行ってきたか。このブログに来ている皆様は当然ながらご存知だと思う。


海上保安庁海洋情報部だ。

サイト内でその作業の様子を写真入で解説している。

~大陸棚の限界画定のための調査~

大陸棚調査では、一度船が出港すると、約一ヶ月間は海上での生活が続きます。日常生活とはかけ離れた過酷な環境下での調査ですが、私たちの子孫に夢を残すべく、数多くの海洋調査の専門家が日夜奮闘しています。
 政府を挙げた取り組みがますます強化される中、海上保安庁においても、今後とも大陸棚調査に貢献していきます。

大陸棚調査の日常 ~約一ヶ月間続く船上における調査~

05_heavy_weather.jpg

大時化の中、大きく傾く測量船。
それでも、測量船の後方から多数の観測機器が曳航され、調査が継続されています。


06_obs.jpg

地殻構造探査で必要となる屈折波受信器(海底地震計)を整備する乗組員。
繊細な整備が必要とされる観測機器ですが、高度な技術が必要なだけではなく、揺れる船上では強力な集中力が必要です。


07_airgun.jpg

大きな重量を持つ観測機器を釣り下げて、後方から流そうとしているところ。
揺れる船上では一瞬のミスが大けがにつながる、大変危険な作業です。



海上保安庁が大陸棚調査に取り組んでいたのはここ数年の話だけではない。昭和58年からの30年近い取り組みである。

特集 新たな海洋立国に向かって > III 広がる日本の「海」 > 1.「大陸棚」を広げる

■大陸棚調査に関する年表
027_1.gif

大陸棚延長申請のための調査が完了した今でも海洋情報部の苦労は絶える事がないが、この調査に取り組んだ当初の苦しみはさらに大きかった。当時の事情については当ブログコメント欄の常連でもあるHMS氏のブログに詳しい。

大陸棚調査前夜物語(前編)

 1982年は、国連海洋法条約が採択された年であり、国内では折しも増税なき財政再建を目指して第二次臨時行政調査会(通称:土光臨調)が大胆な行財政改革を提言し、運輸省も組織再編を迫られていた時期である。水路部の海洋調査の仕事は翌年からの大陸棚調査、新型測量船「拓洋」の運用開始など組織的に大きく変わることが要請されていた。だが、その調査組織は、測量課、海象課、編暦課など旧海軍水路部以来の専門分野ごとに縦割りのままだったので、新たな海洋新時代に向けて調査対象海域ごとに組織体制を整備し直す必要があり、運輸本省に先駆けて組織再編に着手した。

 ここで一つ問題がある。予算が認められれば、関係する政令・省令・訓令全てを改正する必要があるので、行政組織の改正事務などに精通した上級職の事務官が欠かせない(ノンキャリアでは無理)のだが、水路部は技術系職員の集まりであり、特に水路部には本問題の実務を担うべき補佐官以下には上級職の事務系職員が皆無であった。これでは円滑な準備ができないことから、寺島課長が本庁総務部の辻課長に掛け合い、本庁からの応援を求めたところ、総務部および警備救難部から岩崎氏(前海保長官)、鷲頭氏(駐スロバキア大使)、与田氏(元内閣官房大陸棚調査対策室長)の3名が水路部に派遣されてきた。

 こうして組織改正作業が始まり、担当者は時には築地の水路部庁舎に泊り込んだりして、寝食を忘れて組織改正に取り組んだ。熱気あふれる若手チームの中には大島氏や加藤氏など後の歴代海洋情報部長の顔もあった。当時を知る関係者の述懐によれば、監理課職員は休息も休日も返上し、中には鈴木監理係長(現:水路協会常務理事)のように自宅に帰ったのが1月で4回だけなどという方も居られたという。そしてこの組織改正は、希望通りの形で認められ、新しい水路部が誕生した。

大陸棚調査前夜物語(後編)

 さて、1983年の組織改正の際に新たに認められた組織のひとつに大陸棚調査室がある。この大陸棚調査の開始を推進した立役者の一人が、組織改正を当時水路部監理課総括補佐官として推進されていた大島氏である。大島氏は、大陸棚調査室設立とともに初代室長となって大陸棚調査の陣頭に立っていた。

 大陸棚調査室設立と同時に竣工した新型測量船「拓洋」は慣熟航海もそこそこに83年10月より大陸棚調査に従事したが、慣熟航海の短さが祟って最新の調査機器に初期故障が頻発し、船務・測量作業に加えて初期故障への対策にも追われ(データを取ってこられなければ、その航海はほとんど無駄になる)、時期柄台風にも見舞われていた。陸上班は陸上班で「拓洋」との連絡やメーカーへの修理手配や打ち合わせなど、陸海共同の忍耐と努力によって問題を克服していった。

 このような大陸棚の限界確定や領海基線確定には国連やIHO(国際水路機関)が共同でガイドラインの策定を行う必要があり、自国の権利を主張するためにもニューヨークやモナコに赴いて会議や作業に参加する必要があったのだが、なんと水路部には外国出張旅費が予算上認められていなかった。それまでは必要になるたびに無理くり捻出していたそうであるが、ここで以前に水路部組織再編で派遣されてきた鷲頭氏が本庁主計課長として就任した。大島氏はこれが機会とばかりに国際会議への参加の重要性を鷲頭氏に直訴し、同氏の尽力もあって晴れて水路部に外国出張旅費が認められたそうである。

驚くべきことに、当初は国際会議や作業部会に参加するための海外出張旅費すら認められていなかったのである。

こうした組織改変の結果、海上保安庁水路部(海洋情報部)は大陸棚調査に取り組むことになったのだが・・・苦労は続くのであった。

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tag : 海上保安庁 海洋情報部 測量船 JAMSTEC JOGMEC EEZ 沖ノ鳥島

2012-05-05 : 沖ノ鳥島問題 : コメント : 7 : トラックバック : 0
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