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一年と2ヶ月が過ぎた被災地における海保の活動

日本を襲ったあの災害から既に1年と二カ月が経過した。被災地から離れた地に住む人々の関心は薄れ、もっぱら原発・電力問題や放射能汚染問題ばかりがメディアを賑わせている。

だが、現地では今もあきらめずに捜索を続ける人々がいた。警察と海保である。

震災不明者を一斉捜索 宮古署と海保合同で

 宮古署と宮古海上保安署などは9日、合同で震災の行方不明者の一斉捜索を行った。震災発生から1年2カ月となる11日を前に、参加者は宮古、山田両市町の海上と陸上で遺品や遺骨を捜した。
 捜索場所は陸上が同市重茂地区と同町船越地区、海上が宮古湾、同市重茂地区、船越湾。同町船越では、地元の交番所員ら計10人が海岸沿いの岸壁や沢周辺を調査したり、とび口を使って砂の中や山林を捜した。

 同日は同市重茂の砂浜や山林で骨のようなもの十数本が見つかった。人のものと分かればDNA鑑定する。

  宮古署管内では1日現在、250人が行方不明となっており、昨年9月15日に同町で発見されて以来、遺体は見つかってない。



震災不明者を宮城沿岸で集中捜索 海上保安部

 東日本大震災発生から1年2カ月となった11日、宮城海上保安部は宮城県内の沿岸で、行方不明者を約110人態勢で集中捜索した。警察庁によると、県内の行方不明者は9日現在で1581人。
 捜索には巡視船などが出動。浅瀬ではゴムボートを使うほか、ソナーで海底に車などが沈んでいないか確認した。
 石巻市十八成浜では巡視船まつしまの乗組員35人がゴムボート2隻と警備救難艇1隻で湾内を捜索。気仙沼湾などでも実施され、飛行機やヘリコプターで空からも捜した。〔共同〕


震災不明者を集中捜索 宮城沿岸、110人態勢

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ゴムボートで行方不明者を捜索する宮城海上保安部の職員
=11日午前、宮城県石巻市十八成浜


震災から1年2か月、宮城で不明者集中捜索

 11日の集中捜索は、石巻や気仙沼など県内6つの海域で110人が参加して行われた。このうち石巻市十八成浜では、海中探査用のソナーをつけたゴムボートに隊員が乗り込み、漁港付近の海中を調べた。

 8日に県が公表した死者は関連死も含めて1万162人、行方不明者は1581人となっていて、宮城海上保安部は今後も毎月11日に集中捜索を行うことにしている。(05/11 23:36)


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巡視船「まつしま」は「あの日」洋上にて津波に遭遇し、その時に撮影された映像は世界中を駆け巡った。上記写真に写っているRHIB/GB(PL126-M3)と動画の高速警備救難艇(PL126-M1)は巡視船「まつしま」搭載艇である。動画ではRHIB/GBに搭載されたソーナーの様子がよくわかる(座席の本体表示部と船首のセンサー部)。ソーナーは、以前当ブログで掲載したHDSのようだ。

関連エントリ:今年最後の大捜索、ソナーと水中ロボットROVも投入。しかし・・・

「しれとこ」型は順次更新されており残り少なくなってきた。同型に所属する「まつしま」も解役される日は近いだろう。震災不明者の捜索が最後の大仕事、奉公となるのではないだろうか。

大震災1年2か月 行方不明者の集中捜索

このうち釜石港では警察官と海上保安官あわせておよそ80人が出動式を行い、湾内には巡視船が出て、潜水士6人が深さ16メートルほどの海に向かいました。きょうは波が高く海中の視界も悪い中での捜索となりましたが潜水士たちは何とか不明者の手がかりを見つけようと潜水を繰り返しました。巡視船きたかみの宮本順之船長は「我々海上保安庁としては引き続き行方不明者をご家族の元へ早く戻したいと考え、一所懸命我々にできることを今後もずっと続けていきたい」と話していました。

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上記ニュース映像で写っているオレンジ色のボートは巡視船「くりこま」の潜水支援艇(PL06-M1)だ。同船は当直のみの停泊時に津波が襲来、そのまま流され座礁した。船底などの損傷は厳しかったが、長い修繕工事から復旧し今ではこうして捜索作業に当たっている。くりこま潜水班は本船が被災し運用不能となっても被災直後から捜索救援活動を実施していた。

巡視船「きたかみ」(PM02)は地震発生とともに緊急出港するも、釜石湾内で津波に遭遇。懸命の操船で切り抜けた。その時の緊迫した船内のやりとりも映像に残されている。同船も「まつしま」と船齢が近いため解役は、そう遠くない。

東日本大震災:釜石、大槌湾内で行方不明者を集中捜索

 釜石港で全員が海上を向いて犠牲者に黙とうをささげた後、湾内の沿岸部や河川などを陸と海から捜索した。釜石海保は巡視艇を出し、宮城海保から出向の潜水士チームも加わった。釜石市の公共ふ頭近くの海底を捜索した潜水士の小野寺真人さん(26)は「視界は約1メートルと良好とはいえないが、行方不明者をなんとか見つけ、お帰ししたいという気持ちです」と話した。捜索で、運転席がつぶれた状態の車を発見、車検証を引き上げた。

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岩手県警釜石署と釜石海上保安部により、実施された東日本大震災・行方不明者の合同集中捜索を前に、
海上に向けて黙とうをする捜索員ら=岩手県釜石市港町の釜石港官庁専用桟橋で2012年5月11日、高尾具成撮影



海保と警察の捜索活動は、震災から1年を機に各地で順次実施されている。先月、報じられている捜索活動の一部だけで以下の通りだ。

海保、県警合同で懸命の捜索 震災月命日に

釜石海上保安部と県警は東日本大震災の月命日の11日、陸前高田市などで行方不明者の集中捜索を行った。震災から1年1カ月、県内では今なお1225人が行方不明(11日現在、県警まとめ)。被災者は帰らぬ家族を切実な思いで待ち続ける。職員らは「不明者がいる限り、震災当初と変わらぬ思い」と懸命に活動したが、この日は新たな発見に至らなかった。

 海保は巡視船など4隻、35人態勢で活動。陸前高田市の広田湾ではソナーで海底を探り、車や家屋らしき物体の場所を記録しながら捜索を続けた。

 釜石海保警備救難課の阿部富二専門官は「一人でも多くを家族の元に帰したい」と思いを込めた。

 県警は宮古署42人、大船渡署35人態勢で、同市と大船渡市、宮古市、山田町で海沿いの陸地を中心に、小さな岩やがれきの裏などを丁寧に調べた。一方井文彦宮古署長は出動式で「被災者の気持ちに応えるよう、懸命に取り組んでほしい」と激励した。

 今月上旬の低気圧通過で海が荒れたことから、新たな発見も期待されたが、同日は見つからなかった。


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【写真=ソナーを使い、海底を捜索する釜石海上保安部職員
=11日、陸前高田市・広田湾】


東日本大震災:行方不明者の一斉捜索行う--南相馬・小高区 /福島

毎日新聞 2012年04月24日 地方版

 県警は23日、警戒区域解除後、初めて南相馬市小高区で、福島海上保安部も加わり、行方不明者の一斉捜索を行った。

 捜索範囲は津波被害を受けた新地町からいわき市までの沿岸部。満潮と干潮の差が大きい大潮期間中を狙い、干潮時間帯(午前11時前後)に約120人を動員した。


1年ぶり、大沢漁港周辺の海中捜索 気仙沼・唐桑

 宮城県気仙沼海上保安署などは24日、東日本大震災の行方不明者捜索の一環として、気仙沼市唐桑町の大沢漁港周辺で約1年ぶりとなる海中捜索をした。
 近くの小原木地区で6人が行方不明になっているという情報を元に、宮城海上保安部所属の巡視船「くりこま」のダイバー6人が潜水した。水温5度の海中を何度も潜り手掛かりを求めたが、この日は不明者は見つからなかった。
 潜水班長の藤田伸樹さん(37)は「まだ見つかっていない人は多くいる。物が見つかれば身元の判明にもつながるので、できる限り捜したい」と話した。25日も大沢漁港で捜索する。

2012年04月25日水曜日

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港内を捜索する宮城海上保安部のダイバーら

1年を越す月日が経っても、被災し大切な人を失った人々には何の節目にもなりはしない。しかし、そうした月日を捜索に当っていた海保にとっては一年は一つの契機となった。事実上の捜索体制の縮小である。

震災不明者捜索、全国の海保巡視船派遣は終了へ

 海上保安庁は21日、東北沿岸部で実施している東日本大震災の行方不明者捜索について、全国各地からの巡視船艇などの派遣を今月中に打ち切り、4月以降は宮城県塩釜市の第2管区海上保安本部が単独で継続すると発表した。

 海保は震災発生以降、最大で1日あたり巡視船艇54隻、航空機19機を投入して東北沿岸の1024か所を捜索。これまでに395人の遺体を収容し、うち52人を潜水捜索で発見した。今後は、2管本部の巡視船艇20隻、航空機5機程度で捜索を続けるという。

 派遣終了は、東北沿岸の全港湾で捜索を行ったことや、尖閣諸島周辺の領海警備などに船艇を振り分ける必要があることから決まった。鈴木久泰同庁長官は21日の定例記者会見で、「まだ多くの行方不明者がおり、震災対応の柱として、今後も捜索を続けていきたい」と話した。

(2012年3月21日20時17分 読売新聞)

米軍、自衛隊、消防援助隊、警察広緊隊が順次任務終了、撤収する中、全国からの派遣を長らく維持し続けた海保もようやくその体制を終了した。他の機関に比べ人員規模が小さい海保にとっては驚異的な派遣期間だったといえる。これは津波という沿岸部における大規模な災害で行方不明者の大部分が海にさらわれたと考えられている点や、地元を管轄する第二管区海上保安本部自身が深刻な被害を受け本来になうべき通常の任務を維持できなくなってしまっていたことなどが挙げられる。実際、行方不明者の捜索活動だけではなく、哨戒活動や洋上救急待機などの業務も派遣巡視船は行っていた。一方で、他の管区での任務が減ることはない。そのため潜水士や指定船の不足のほか、特に尖閣諸島などの哨戒警備活動でも支障が懸念されていた。派遣され捜索に当っている潜水士や乗員などの海上保安官には継続したいという真情も合ったかもしれない。

しかし、事実上の体制縮小である反面、これは二管が復旧しつつあるという兆しでもある。




本来、震災から1年ということで2ヶ月前にはこうしたエントリを作成してアップしておくべきだったのだが、年度末であったため叶わなかった。そこで、遅ればせながら3月までに報じられた被災地での海保の活動と、震災から10ヶ月目に準備していたエントリ内容をここに掲載する。

3・11東日本大震災から1年 あの日、あの時から-

その日、なついは定期整備中で、坂本さんは非番だった。同僚の送別会のため、待ち合わせ場所となった小名浜の庁舎に自転車で向かう途中、突如、歩道の植え込みに放り出された。一瞬、何事が起きたか理解できなかった。顔をあげると道路がうねり、電柱や建物が大きく揺れている。近くのカラオケ店から女性が飛び出し、恐怖におびえ泣き出した。
最悪の事態を考え、急いで巡視船へ。息を切らして船に着くと、近くの庁舎から避難を呼び掛ける声が聞こえた。「津波が来てる。退避しろ!」。急いで庁舎に駆け上った。
 長く苦しい闘いが幕を開けた。人命救助に乗り出そうとするが、沿岸は漂流物や海底に異状物があるために船が近寄れず、事前に陸上から踏査をしなければならない。坂本さんは志願した。地元出身で地の利がある、ぜひやらせてほしい――。
想像を絶する光景が広がる中、がれきの山をかき分ける。先に到着した自衛隊が、泥にまみれ息を引き取った犠牲者の顔を優しくふき取る。壮絶な現場。多くの遺体と向き合った。そして東京電力福島第一原子力発電所事故。目に見えない恐怖と闘いながら、1週間、2週間、そして1カ月と現地を踏査し、仲間に貴重な情報を伝え続けた。海保の活動の裏には、坂本さんたちの努力があった。




東日本大震災から11カ月 不明者いまだ3300人

 東日本大震災は11日で発生から11カ月。連日氷点下に冷え込む被災地で、警察や海保などは懸命な捜索活動を続けているが、10日時点で行方不明者は、岩手、宮城、福島など6県でなお3305人に上る。

震災11か月 不明者捜索続く

捜索に先だって、津波で警察官が殉職した陸前高田市の交番の跡で黙とうし、このあと警察官が砂浜や河口付近の茂みなど、目の行き届きにくいところに手がかりになるものがないか捜していました。
また、海上保安部は巡視艇や小型のボートを出して、海上からの捜索にあたり、午後からはダイバーが水中に潜って捜索を行うことにしています。
岩手県警察本部によりますと、県内では10日現在で1316人の行方が分かっていません。



岩手沿岸で行方不明者を合同捜索 県警と釜石海保

 捜索には鹿児島と横浜から応援に来ている巡視船2隻が出動し、海保の潜水士や大船渡署の警察官ら約90人が参加。警察官は陸前高田市から大船渡市にかけ海岸線を中心に徒歩で不明者を捜し、潜水士らは沈んだ車両など海中を中心に捜索したが、遺体は見つからなかった。

 釜石海保によると、震災の発生から1月末までに、延べ608回の潜水活動を実施。全国からの応援を含む延べ3702人の潜水士らが活動し、130人の行方不明者を発見した。

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 海中を捜索する海上保安庁の潜水士=11日午後、岩手県大船渡市

震災2遺体発見 大船渡と釜石で

 大船渡市と釜石市で9日にかけ、東日本大震災の行方不明者とみられる遺体2体が相次いで見つかった。県警が身元の特定を急ぐ。

 釜石海上保安部によると、大船渡市の大船渡港で8日午後、海上保安庁潜水士が海底に沈んでいた車の中に遺体を発見。9日午後に車を引き揚げ、遺体を大船渡署に引き渡した。

 車は大船渡魚市場の北約140メートルの、水深約2メートルの海底に沈んでいた。遺体は後部座席に横になった状態だった。成人とみられるが性別は見分けがつかず、着衣はぼろぼろの状態だった。10日以降に司法解剖を行う。



【震災】今も3200人不明 大川小周辺で大規模捜索

 捜索は、警察や海上保安部など合わせて200人態勢で行われています。宮城・岩手・福島の被災3県では、現在も3200人余りが行方不明です。児童の7割が犠牲となった大川小学校の近くでは、約100人がせき止めた川の底に堆積した泥をかき分けるなどして捜索にあたっています。捜索態勢は半年を節目に縮小していて、20日の捜索は大川小の保護者の要望を受けて実現しました。


東日本大震災:岩手・釜石市の要請で4機関一斉捜索

 東日本大震災1年を前に20日、岩手県釜石市で行方不明者の一斉捜索が始まった。「一人でも多く家族の元に」と市が海保、港湾事務所、警察、消防に要請し、初めて4者による150人体制の合同捜索となった。29日まで続けられる。

 同市港町であった開始式で野田武則市長は「行方がわからない人も多くいる。家族の期待に応えたい」と述べ、海保の潜水士が水温3度の海中に潜った。同市では現在も159人の行方が分からない。



釜石港中心に集中捜索

東日本大震災発生1年を前に、釜石海上保安部は20日、釜石市内で行方不明者の集中捜索を始めた。

 海保職員らが同市港町の公共埠頭(ふとう)で黙とうした後、ダイバー7人が釜石港の魚市場周辺の海中を捜索。同港は漁船や貨物船の往来が多いため、海保はこれまで市内のほかの港や海岸での捜索を優先していた。捜索は今月末まで、釜石港を中心に行われる予定。

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釜石港内で行方不明者の捜索をする海上保安官ら(20日)

「3.11」を前に 釜石で行方不明者の一斉捜索

 一斉捜索は釜石海上保安部、釜石署、国土交通省釜石港湾事務所、釜石大槌地区消防本部、釜石市の5機関、計約150人態勢で行う。釜石港公共埠頭(ふとう)であった開始式で、野田武則市長は「市の行方不明者は、いまだ159人に上る。家族の期待に応えてほしい」とあいさつした。
 初日は、これまで捜索していない釜石港公共埠頭北側の海底を中心に実施。釜石海保と応援の横浜海保の巡視船など4隻とヘリコプターが出動し、潜水士7人が海に潜った。横浜海保の潜水士坂上悠さん(25)は「一人でも多く家族の元に返せるよう、一生懸命頑張る」と話した。


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行方不明者を捜索する潜水士ら=20日午前9時45分ごろ、釜石港

写真に写されている高速警備救難艇は巡視船「いず」(PL31)搭載のものだ。おそらく震災発生一年を前に海保としては総力を挙げて捜索活動を行ったのだろう。「いず」は3管所属の災害対応型巡視船であると同時に、最大の救難強化指定船でもある。

こうした捜索活動の結果、ふたたび遺体発見に至った。

震災犠牲者か、海底に遺体 大槌・船越湾

 23日午後2時40分ごろ、大槌町の船越湾の水深約13メートルの海底で、海保の潜水士が遺体を発見し、釜石署に引き渡した。同署は東日本大震災の行方不明者の可能性もあるとみて身元の特定を急ぐ。

もちろんこうした活動を行ったのは「いず」だけではない。下の記事からは鳥羽海保の「いすず」が派遣されていたことが分かる。

【釜石】不明者発見へ懸命に 一斉捜索が終了

 東日本大震災発生から丸1年を迎えるに当たって大規模に行われた釜石市の行方不明者一斉捜索は29日で終了した。「絶対にあきらめない」と海保潜水士らが身を切るような寒さの中、海へ潜り続けたが、20日からの期間中は大きな成果は上がらなかった。今後も通常態勢で手掛かりを捜す。

 鳥羽海上保安部(三重県鳥羽市)に所属する巡視船「いすず」の潜水士8人は、釜石港北側の岸壁付近で約300メートルに及ぶ範囲で捜索。8人は船上で位置などを確認した後ゴムボートに乗り込み、勢いよく海中へ飛び込んだ。

 水温2・4度の海中を深さ15メートル近くまで潜った小木曽健潜水士(33)は「とたんや家財道具などのがれきが見えた。一人でも多くの方を見つけられるよう、しっかりと捜索を進めていく」と力を込めた。

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【写真=捜索前に入水方法や潜水位置について確認し合う巡視船いすずの潜水士=釜石市・釜石港】

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tag : 海上保安庁 巡視船 高速警備救難艇 東日本大震災 海洋情報部

2012-05-11 : 東日本大震災 : コメント : 2 : トラックバック : 0
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あれから9ヶ月・・・捜索を続ける海保潜水士が遺体を発見

3月11日の東日本大震災・大津波から9ヶ月。この災害をはじめとして様々なことが起きた2011年も幕を閉じようとしている。

今年を振り返るとしてテレビでもあのときのこと、そしてその後の復興を特集する番組が多い。被災した方々はともかく、テレビ的にはもう振り返るべき過去のこととなってしまったのであろうか。

しかし、現地には被災者と同様今でも「闘い」を続けている人々がいる。

そして、その「執念」が実を結んだ。

海保潜水士、執念の捜索 大槌湾で遺体発見

 東日本大震災から9カ月半が過ぎた、三陸沖。まだがれきが広がる海底で、海上保安庁の潜水士たちは執念の行方不明者捜索を続けている。大分海上保安部所属の巡視船「やまくに」の潜水班は20日、釜石市の大槌湾で県内の海中では約3カ月ぶりとなる津波犠牲者の遺体を発見した。日増しに気温と水温が下がる中、切通(きづし)亮班長(34)は「不明者の帰りを待つ家族に応えたい」と、強い決意で任務に当たっている。

 水温は10度。訓練を積んだ潜水士にはそれほど厳しくはないが、海から出た後の気温の低さが体力を奪う。水深30メートルを超える潜水は次に潜るまで5時間程度の休憩が必要。1日に2度しか潜れない。

 遺体を見つけたのは、深さ30メートルの海底だった。「目標達成」は「死亡の確認」でもあり、複雑な思いから逃れることができない。遺体を傷つけないよう丁寧に袋に収め、警察に引き渡した。

ほとんど報じられていないが、現在でも海上保安庁は被災地沿岸に全国から巡視船を派遣し捜索活動を続けている。先月は地元警察や応援の警察部隊とともに年内最後となる大捜索を実施した。もはや救助活動ではない。行方不明者の身元を特定し死因を確認するという警察業務である。しかし、彼らを支えているのは、一刻も早く家族のもとに返してあげたいという心であろう。

今回の遺体発見は、海中からは3ヶ月ぶり、陸上も含めると1ヶ月半ぶりとなるという。

東日本大震災:1カ月半ぶり、海底から2遺体--大槌湾 /岩手

 釜石海上保安部に応援派遣されている大分海上保安部は、大槌町の大槌湾の海底から2人の遺体を発見した。震災の犠牲者と見られる遺体発見は11月2日に釜石市内の団地敷地内に放置された車内から男性の遺体が見つかって以来、約1カ月半ぶり。

「海中探査機」で発見した沈船の付近において二日連続の発見だったという。

この「海中探査機」というのがROVを指しているのかソーナーを指しているのかは不明だが、「やまくに」は「ふくえ」型(PM型)巡視船で本来はROVを装備していない。以前のエントリで見たように、ソーナーを使ったと考えるべきだろう。

関連エントリ:今年最後の大捜索、ソナーと水中ロボットROVも投入。しかし・・・

こうした装備が、海保にあらかじめ十分いきわたっていれば・・・と思うと同時に、震災直後は浮遊物・海底瓦礫が多く、潜水士が肉眼と手作業で捜索せざるを得なかったことを考えると複雑な気持ちだ。

今後、捜索活動はより厳しい状況になるが、引き続き行われるだろう。 このエントリーをはてなブックマークに追加

tag : 海上保安庁 潜水士 東日本大震災

2011-12-24 : 東日本大震災 : コメント : 1 : トラックバック : 0
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三連動地震想定の防災訓練に病院船が登場?

先月末、大規模な津波防災訓練が実施された。言うまでもなく東日本大震災・津波を受けてのもので、訓練の想定も実際の被害を参考にしている。

この訓練に「病院船」が参加したという。

沖合の病院船で治療も 西日本9府県が津波訓練

 南海地震による津波被害を想定した広域防災訓練が30日、徳島県小松島市であった。津波で海に流された負傷者を救助し、3キロ沖合で待機する病院船の船上で治療する訓練もあった。7府県が加わる関西広域連合も参加した。

 訓練は、近畿2府4県と福井、三重、徳島の計9府県が1995年から毎年実施。今回は、和歌山県潮岬沖でマグニチュード8.6の南海地震が発生し、6メートルの津波が襲ったとの想定で行われた。自治体の訓練では初めて、手術室や集中治療室を備えた海上自衛隊の補給艦「おうみ」(基準排水量1万3500トン)が病院船として参加した。

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津波で、海上に流された負傷者を救助する訓練

といっても、専用病院船ではない。専用病院船はまだ日本には存在しないのだ。
この記事で「病院船」とされているのは病院機能を持つ海自補給艦「おうみ」である。海自では阪神大震災などを受けて大型艦の医療設備を強化、災害派遣時には一般の被災者・負傷者受入を想定している。

関連エントリ:各国の病院船、日本の病院船機能をもつ自衛艦

この訓練では海自の「おうみ」だけでなく、海保のヘリ搭載型巡視船「せっつ」も同様の洋上救護所となった。同船は阪神大震災で被災損傷しつつも、麻痺した五管本部・神戸海保に代わる臨時拠点として活躍している「実戦経験者」である。

3連動甚大被害想定 小松島で9府県合同訓練、広域連合が物資支援

 徳島、福井、三重3県と近畿6府県による東海・東南海・南海3連動地震を想定した近畿府県合同防災訓練が30日、小松島市の徳島小松島港赤石埠頭(ふとう)を主会場に行われた。各府県消防隊や自衛隊、海上保安庁、医療団体など240機関から約3千人が参加し、本番さながらに取り組んだ。

 午前9時ごろ、和歌山県の潮岬南沖でマグニチュード8・6の地震が発生し、震度6強を観測、5メートルを超える津波が押し寄せ県内沿岸部の道路や建物が大きな被害を受けたとの想定で行われた。

 赤石埠頭の沖約3キロで海上自衛隊補給艦「おうみ」と海上保安庁巡視船「せっつ」の2隻に洋上救護所を開設。9府県の災害派遣医療チーム(DMAT)約110人が乗り込み、負傷者の応急処置に当たった。

 20チームが乗船したおうみには、海自や各府県のヘリ6機が海上を漂流していた負傷者らを次々と搬送する訓練を実施。医師や看護師は貨物室に設けた救護所で、治療の優先順位を判断する「トリアージ」を行った。負傷者を軽傷、中傷、重傷に分け、重傷者は緊急手術や他府県の救急病院への搬送手続きをした。

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tag : 海上保安庁 巡視船 「いず」 東日本大震災 福島第一原発事故 AS332 EC225 S-76 212 病院船

2011-11-14 : 東日本大震災 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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今年最後の大捜索、ソナーと水中ロボットROVも投入。しかし・・・


以前、現在も引き続き捜索活動を続けている海保と警察についてのエントリを作成した。

関連エントリ:災害救助に「勝ち負け」はない。東日本大震災での水中捜索

その後もそれぞれ引き続き捜索を行っていたが、先日再び合同で大規模捜索が実施された。

福島第一原発周辺沿岸で一斉捜索

震災と原発事故から間もなく8か月になるのを前に、警察や海上保安庁などが合同で、東京電力福島第一原子力発電所周辺の沿岸部で一斉捜索を行いました。

警察によりますと、福島県内では震災で227人が依然行方不明になっています。震災と原発事故の発生から今月11日で8か月になるのを前に、警察は消防や海上保安庁とともに、およそ130人体制で、立ち入りが禁止されている富岡町の沿岸部を中心に捜索しました。このうち、福島第一原発から南におよそ10キロの富岡漁港では、警察官や消防隊員たちが防護服を着て、波消しブロックの間を確認していました。また、海上では巡視艇やボートを使って捜索が行われました。海中にはカメラ付きのロボットを入れて、手がかりがないか調べていました。

福島県の原発周辺だけではない。被災各県各地で行われたのだった。

行方不明者の集中捜索(岩手県)

冬を前に釜石海上保安部と岩手県警では、合同で行方不明者集中捜索を9日から始めています。集中捜索は宮古市から南の地域で陸上、海上に分かれて行われていて、警察官、海上保安官合わせて400人以上が参加しています。このうち釜石市と大槌町にまたがる大槌湾では、派遣で訪れている三重県の鳥羽海上保安部の巡視船いすずが、捜索にあたっています。

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岩手県では四管の救難指定船「いすず」が活動していることから、依然として海上保安庁が被災地域の捜索のために各管区から応援派遣を続けていることがわかる。また、この捜索にはソーナーも投入されているという。

「家族のため」懸命に 県警と海保、冬を前に集中捜索

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 警察官370人、海保は70人体制で実施。釜石市の箱崎漁港付近の大槌湾では、海保の潜水士5人が捜索に当たった。

 午前10時ごろの水温は13度。海岸線の木々は紅葉し、震災発生時からの時間の経過を物語る。海中の視界は8メートル程度確保できたが、がれきには以前よりも泥や藻が積もり、作業が難しくなっている。

 広い海の捜索は、音波の反射で物体の有無を探るソナーが手掛かり。三重県の鳥羽海上保安部の吉田秀敏潜水班長(36)は「できる限りのことをし、一人でも多くの方を見つけたい」と語り、繰り返し潜った。

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tag : 東日本大震災 福島第一原発事故 海上保安庁 潜水士 警察 消防

2011-11-12 : 東日本大震災 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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災害救助に「勝ち負け」はない。東日本大震災での水中捜索

「あの日」から半年以上が経った。しかし、未だに被災者は苦しみ続け、復興は遅々として進んでいない。
未だに、4000人近い人々が行方不明のままだ。
大きな被害をもたらしたのが津波であることを考えると、その多くが海に飲み込まれたと思われる。

そのため震災直後から大規模な海上捜索が行われていた。

特に大きく報じられていたのが海自掃海部隊の活動だろう。ただ、期待されていた水中処分隊の潜水捜索は、海面下の瓦礫の状況があまりにも酷くすぐには手を付けられない状態だった。また、掃海艇で岸壁に近づこうにも、やはり瓦礫や漂流物が障害となっていた。それでも、掃海隊、水中処分隊はその任務からディンギーと呼ばれるゴムボートを多数装備しており、その機動性を生かして水上捜索のみならず、孤立した被災者の救援も行ったという。

小回り生かし、東日本大震災で大活躍の掃海部隊
“海猿”に負けない“鉄の男たち”の奮闘記

 現場到着後、離島や陸路が寸断され牡鹿半島先端部の孤立地域に救援物資を届けようとしたが、海面上には魚網や漁具、家屋、コンテナ、無人漁船など多数の浮流物があり、水中にも津波で流されてきた車や電信柱など多数の障害物があるため、掃海艇で岸壁に近づこうとしても近づけなかった。

 仕方なく、掃海艦艇に搭載しているゴムボートで近接したが、浮流物の魚網をプロペラに巻き込んで航行不能になる恐れがあるので細心の注意を払いながら航行した。

 今回の災害派遣では掃海部隊、特に水中処分員の水中捜索での活躍が期待されたが、瓦礫などの浮遊物、汚濁した海水および30センチ先も見えないという最悪の水中視界に遮られ、活動当初は潜ることができなかった。

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海自の掃海部隊が救援活動において能力を発揮できたのは、掃海母艦・掃海艇・ディンギーという大型艦からゴムボートまでの一貫した部隊運用が可能だったからだろう。掃海母艦「うらが」「ぶんご」は指揮連絡から捜索部隊の支援休養までこなせる。大型ヘリが着艦可能なため物資輸送の拠点にもなる。掃海艇は物資輸送や捜索活動、さらに搭載ティンギーはより細やかな活動を実施する。また、掃海部隊・水中処分隊は訓練だけでなく不発弾処理等の実際の任務で漁師や海保との協力に事欠かないことも活躍の背景にあると考えられる。

ただ、現在は福島県で除染支援を行っている陸自部隊を除き、海自を含めた災害派遣部隊は全て撤収している。

一方で、未だ被災地で潜水も含めた捜索活動を行っている組織があった。
上記記事で「負けない」と名指しされた“海猿”、つまり海上保安庁である。

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テーマ : 震災救援・復興
ジャンル : 政治・経済

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2011-10-27 : 東日本大震災 : コメント : 2 : トラックバック : 0
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