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「海上保安の日」と「海上保安レポート2012」

先日12日は「海上保安の日」だった。以前の海上保安庁開庁記念日である。

海上保安庁発足(1948)

1948年(昭和23)5月1日、海上保安庁が運輸省(現在は国土交通省に統合)の外局として開庁しました。そして12日に、初代長官大久保武雄(1903-1996)の手で庁旗が掲揚されたのですが、海上保安庁では発足した1日ではなく、この庁旗が掲揚された12日を開庁記念日として祝ってきており、それにちなんで海上保安の日も5月12日になっています。

昨年は震災対応で関連イベントどころではなかったが、今年は各地で開催されている。

操舵室に歓声 高松「海上保安の日」 市民ら体験航海

 「海上保安の日」の12日、高松海上保安部(高松市)は、海の安全と環境を守る業務への理解を深めてもらおうと、市民らを招いた巡視艇の体験航海を開いた。家族連れらが操舵(そうだ)室を見学し、瀬戸内海の島々を眺めながら約1時間の高松沖の船旅を楽しんだ。

 海上保安の日は、昭和23年5月に海上保安庁が創設されたことにちなみ、平成12年に制定。この日に合わせ、保安部の役割や活動をPRする記念行事を行っている。

 体験航海は2回行われ、約100人が参加。高松港で同保安部所属の巡視艇「くりなみ」(113トン)、「ことなみ」(64トン)の2隻に乗船した。

海保の日友ヶ島灯台公開 紀淡海峡の道しるべに160人

「海上保安の日」の12日、和歌山市加太沖友ヶ島の「友ヶ島灯台」が一般公開された。訪れた約160人は、日頃は入ることの出来ない建物の内部や灯火を興味深そうに見て回っていた。

 友ヶ島灯台は、四つの島からなる友ヶ島の中で最も大きな沖ノ島の西端にある。1872年(明治5年)に建設されてから140年となり、紀淡海峡の道しるべの役割を果たしている。

 訪れた人たちは、灯台内部にある幅約40センチ、高さ約2メートルの鉄製のはしご2本を登り、踊り場から見える淡路島など紀伊水道の景色を堪能。灯台前では、日付などが入った参観記念証を受け取ったり、海上保安庁の制服を着て記念写真を撮ったりしていた。

今年は、観閲式及び総合訓練も無事行われるだろう。

海上保安庁、観閲式および総合訓練の一般公募 - 6月実施

海上保安庁では、「海上保安の日(5月12日)」記念行事の一環として6月2日(土)と3日(日)に、東京湾羽田沖で海上保安庁観閲式及び総合訓練を実施する。巡視船艇や航空機によるパレード、海難救助訓練など、「通常では目にする機会の少ない海上保安庁の業務をより多くの方にご理解いただくため」として、同庁では両日合わせて2000人を一般公募により招待する。

平成24年度海上保安庁観閲式及び総合訓練の実施について

今年の諸外国からのゲストは何になるのか期待される。おととしはUSCGからHC-130が参加した。2010年には中国の海巡21が来日したが、その後、尖閣諸島での衝突を経て日中関係が悪化、今年の参加はあまり考えられない。個人的にはUSCGのバーソルフ級カッターの参加を期待したいのだが・・・


そうした「海上保安の日」だが、被災地ではこの日も捜索活動が続けられていた。

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福島県南相馬市沖で捜索を行う海上保安庁の巡視船(左)(12日午後)=菅野靖撮影

警戒区域解除の南相馬市沿岸、海保が不明者捜索

 東京電力福島第一原発事故による警戒区域が解除された福島県南相馬市の沿岸で12日、福島海上保安部が東日本大震災の行方不明者の捜索を行った。

 同区域解除の4月16日以降、同区域内での不明者捜索に絞った活動は初めて。県警によると、12日現在、福島県内の東日本大震災による行方不明者は214人。

 捜索は原発の北約15キロの小高川河口付近の1キロ四方の海域で、約50人態勢で行われ、巡視船など4隻が出動。県警も海岸などで捜索したが、いずれも発見には至らなかった。同保安部は今後も、パトロールと並行して捜索を続ける。
(2012年5月12日20時58分 読売新聞)


警戒区域で行方不明者の一斉捜索 福島県警、500人態勢

 福島県警や消防、海上保安庁などは14日、東京電力福島第1原発による警戒区域で、行方不明者の一斉捜索を約500人態勢で行った。
 原発から約8キロの福島県浪江町請戸では、防護服にマスクを着けた警察官らが、不明者の手掛かりを求めて砂浜や消波ブロックの間を捜した。

警戒区域解除後初めての捜索だが、解除前の2011年8月には派遣された特殊救難隊員と潜水士による水中捜索も行われている。

20キロ圏内初の潜水捜索 決死の潜水士、海中被曝管理の前例・研究なく



追記:捜索は14日にも行われた。初めて県の漁業調査船も加わったという。

警戒区域一斉捜索

 海域の捜索には県の漁業調査船など2隻も初めて加わり、南相馬市小高区の沿岸で海保の巡視船とともに、行方不明者の手がかりを探した。一斉捜索を指揮した県警の平井興宣本部長は「ご家族の要望なども聞きながら、最後の一人まで見つけ出したい」と話した。

 先月16日に警戒区域が解除された同市小高区の海上では、海保が12日にも巡視船など4隻で捜索を行っている。ただ、震災から1年2カ月を経て、「新たな発見」はますます困難になっている。





こうした捜索活動について「海上保安の日」である12日に発売された「海上保安レポート2012」では、現場からの証言とともに特集を組んでいるという。

被災者救助の潜水士ら証言 海保が年次報告書

 海上保安庁は、東日本大震災への対応を中心に昨年度の活動内容をまとめた年次報告書「海上保安レポート2012」を公表した。被災者救助などに当たった職員たちの生々しい証言を数多く取り上げている。
 津波による行方不明者を捜索した宮城海上保安部(宮城県塩釜市)の潜水士は「水面に浮いた木材のほとんどが倒壊家屋の残骸で、至る所にくぎが突き出ていた。海底にも家屋の残骸が鋭利な凶器となって散乱していた。海水温は5度前後と例年より低く、低水温との戦いでもあった」と過酷な作業を振り返る。
 大きな余震で海底に無数の亀裂が走り、全員が緊急浮上したこともあった。

昨年の「海上保安レポート2011」も震災後の5月に発売されたが、掲載が間に合わなかったとして震災に関する記述は見送られている。震災発生からわずか2ヶ月しか経過しておらず、さらに人員すら確保できなかったのだろう。当時は、通常行っているような広報活動すら維持できなかった。

 昨年海保を悩ませたのは震災救援活動だけではない。

 ほとぼりが冷めたと考えたのか、中国漁政を始めとする公船の活動が活発になった。また、放射能の汚染調査を名目として調査船の太平洋日本近海の進出まで行われている。今回の海保レポートではそうした点も指摘されているという。

海保 領海警備の重要性を指摘

この中で海上保安庁は、おととし9月の中国漁船の衝突事件のあと、尖閣諸島周辺の海域に現れるようになった中国の漁業監視船が、去年は9回確認され、8月には領海に侵入したことを取り上げています。
また、日本の排他的経済水域でも、中国の海洋調査船が条約に基づく事前通報をせずに海洋調査を行ったり、日本の調査活動に対して中止を求めてきたりしたことを取り上げています。
そして、日本の海洋権益を脅かす活動が活発になっているとして、領海や排他的経済水域の警備の重要性を指摘しています。
そのうえで、緊迫化する情勢に対応するために、遠方の離島では海上保安官に陸上犯罪の逮捕権限を与えるという法律の改正案についても解説しています。

ただ、ここで言及されている海上保安庁法改正案が今国会で成立するかどうかはいまだ不透明だ。

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tag : 海上保安庁 領海警備 東日本大震災

2012-05-15 : 海上保安庁 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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