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災害救助に「勝ち負け」はない。東日本大震災での水中捜索

「あの日」から半年以上が経った。しかし、未だに被災者は苦しみ続け、復興は遅々として進んでいない。
未だに、4000人近い人々が行方不明のままだ。
大きな被害をもたらしたのが津波であることを考えると、その多くが海に飲み込まれたと思われる。

そのため震災直後から大規模な海上捜索が行われていた。

特に大きく報じられていたのが海自掃海部隊の活動だろう。ただ、期待されていた水中処分隊の潜水捜索は、海面下の瓦礫の状況があまりにも酷くすぐには手を付けられない状態だった。また、掃海艇で岸壁に近づこうにも、やはり瓦礫や漂流物が障害となっていた。それでも、掃海隊、水中処分隊はその任務からディンギーと呼ばれるゴムボートを多数装備しており、その機動性を生かして水上捜索のみならず、孤立した被災者の救援も行ったという。

小回り生かし、東日本大震災で大活躍の掃海部隊
“海猿”に負けない“鉄の男たち”の奮闘記

 現場到着後、離島や陸路が寸断され牡鹿半島先端部の孤立地域に救援物資を届けようとしたが、海面上には魚網や漁具、家屋、コンテナ、無人漁船など多数の浮流物があり、水中にも津波で流されてきた車や電信柱など多数の障害物があるため、掃海艇で岸壁に近づこうとしても近づけなかった。

 仕方なく、掃海艦艇に搭載しているゴムボートで近接したが、浮流物の魚網をプロペラに巻き込んで航行不能になる恐れがあるので細心の注意を払いながら航行した。

 今回の災害派遣では掃海部隊、特に水中処分員の水中捜索での活躍が期待されたが、瓦礫などの浮遊物、汚濁した海水および30センチ先も見えないという最悪の水中視界に遮られ、活動当初は潜ることができなかった。

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海自の掃海部隊が救援活動において能力を発揮できたのは、掃海母艦・掃海艇・ディンギーという大型艦からゴムボートまでの一貫した部隊運用が可能だったからだろう。掃海母艦「うらが」「ぶんご」は指揮連絡から捜索部隊の支援休養までこなせる。大型ヘリが着艦可能なため物資輸送の拠点にもなる。掃海艇は物資輸送や捜索活動、さらに搭載ティンギーはより細やかな活動を実施する。また、掃海部隊・水中処分隊は訓練だけでなく不発弾処理等の実際の任務で漁師や海保との協力に事欠かないことも活躍の背景にあると考えられる。

ただ、現在は福島県で除染支援を行っている陸自部隊を除き、海自を含めた災害派遣部隊は全て撤収している。

一方で、未だ被災地で潜水も含めた捜索活動を行っている組織があった。
上記記事で「負けない」と名指しされた“海猿”、つまり海上保安庁である。


海保の“海猿”に立ちはだかる遺体捜索の非情な壁危険な海底で潜水士が見た「津波の教訓」とは

「海猿」(うみざる)と聞くと、海上保安庁の潜水士が頭に浮かぶ。

 彼らもまた、3月11日の震災直後から被災地で捜索活動を続けている。半年以上の月日が経つだけに捜索は難航しているようだが、粘り強い活動により、今も遺体を発見している。

 震災直後に出動命令が出た巡視船は、同庁が保有する358隻のうち349隻にも及んだ。現在も、30隻が被災地での活動を行なっている。 

 私が第三管区海上保安本部清水海上保安部を訪れた日、大谷氏らは約10日間に及ぶ捜索を終え、母港である静岡県の清水港に着いたばかりだった。派遣先は、宮城県の女川湾から御前湾、そして石巻市沖の雄勝湾の、海岸線付近から沿岸にかけてだった。

 3月11日以降、「おきつ」が被災地に赴くのはこれが4回目だ。今回は、2人の遺体を収容した。1人は海面に浮かび、1人は海岸に打ち上げられていた。震災発生から半年が過ぎた今、発見できるのはこのくらいのペースなのだという。

 東北地域を管轄する第二管区全体では、この半年で372体の遺体を発見、収容した(9月30日現在)。これは、1つの管区における年間の救助数に近い。多いときは、1日で12体を収容した(3月31日)。


海よ 思い出よ 亡き人よ

 震災では今なお4000人以上の行方が分かっていない。海上保安庁は連日、海中の捜索を続けている。潜水士の榎木大輔さん(30)は「一人でも多くの人を家族に会わせてあげたい」と海に入っていった。

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隊員に捜索の手順を指示する海上保安庁の榎木さん(手前)6日、岩手県山田町沖で


海保、遺体の海上捜索継続 震災から7カ月

 東日本大震災から7カ月以上経過した被災地沿岸の海で、海上保安庁による遺体捜索が続いている。9月も約30人の遺体を収容し、一部はDNA鑑定で身元が判明、遺族らに引き渡された。被災から半年後に海から漂流遺体が発見されるのは異例といい、海保幹部は「遺体が見つかる限り捜索を続け、帰りを待つ人たちのもとに渡してあげたい」と話している。

 第2管区海上保安本部(宮城県塩釜市)によると、船などによる捜索で同本部が収容した遺体は、3月は96人だったが、徐々に減少し、6月には22人まで減った。7月になって再び増加し、71人を収容。震災から半年経過した9月も29人を収容しており、今月17日までに計382人に上る。

 海保は現在も船30隻、航空機8機で遺体を捜索。特殊技能を持つ救難隊員らはこれまでにのべ約2400人を投入した。湾内や港内を漂流する遺体の収容が大半だが、潜水士が海中で遺体を発見するケースもあるという。

 海保などによると、通常、水中の遺体は1カ月ほど経過した頃に海面に一時浮上し、再び沈むことが多い。海保幹部は「半年以上たっても漂流遺体が見付かることは、通常では考えられない」と話す。台風などで海が荒れた後に遺体が見付かることが多いことから「海底の泥やがれきに埋もれた遺体が、海が荒れたことで浮かんでくるのではないか」とみている。

 遺体はすべて警察に引き渡した上、DNA鑑定や歯型の照合などで身元を特定し、遺族の元に帰している。

 海保幹部は「亡くなった方の『家族に会いたい』との無念の思いに応えるためにも、当面は捜索を続けたい」と話している。


ほとんどが、漂流遺体を発見したり、やはりそうした遺体を発見した漁船から通報を受け揚収するということだが、水中捜索で発見されることもあるという。

また、福島第一原発20km圏内でも潜水捜索を実施した。

20キロ圏内初の潜水捜索 決死の潜水士、海中被曝管理の前例・研究なく

 東京電力福島第1原発から20キロ圏内で31日までに、初めての潜水捜索が始まった。海中での放射線被曝(ひばく)はまとまった研究や前例がないとされ、海上保安庁は独自基準を作成して捜索に踏み切った。対象は、住民33人が行方不明の福島県浪江町の警戒区域内。「海猿」といわれる特殊救難隊の潜水士らは「震災当初の捜索より緊張する」と決死の覚悟で臨んだ。

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福島第1原発から20キロ圏内の海域での潜水捜索を想定し、宮城海上保安部の潜水班は被曝を低減できるフルフェースマスクでの潜水訓練に従事していた=宮城県南三陸町



救助活動は「勝ち負け」ではない。それでも敢えて言うなら「救えなかった人々」「間に合わなかった人々」を探す「勝者なき戦い」であり、全てが「負け戦」である。一方で、“海猿”が”鉄の男たち”に完全に「負けている部分」もある。

(・・・というか掃海部隊・水中処分隊員を「鉄の男たち」って言うのはどうなんだろう。触雷しちゃう!とか思っちゃうのは自分だけだろうか)

それは「広報」体制であり「後方」体制だ。
海自部隊をはじめとした自衛隊災害派遣部隊の活動は、マスコミで大きく報じられた(それでも「マスコミは自衛隊大活躍の事実を隠している!」と主張する人はいるだろうが)。

特に掃海部隊による捜索活動は、テレビ各局・報道各社・各種雑誌の取材班を同行させたためあらゆるメディアで見ることが出来た。世界の艦船やJ-shipsなどの専門誌はもとよりテレビでも眼にした人は多いだろう。

笹幸恵 物資と「真心」運ぶ海自

 地震から1カ月が経過した4月12日。私は陸前海岸で活動している海上自衛隊を取材するため、掃海母艦「ぶんご」に乗った。翌日、群司令の後について被災地を訪れた。「海上自衛隊さんがいなければ、私らは本当に取り残されていましたよ」。大島の公民館で住民の一人が言った。陸路での支援は不可能、また岸壁もがれきで覆われ、フェリーは横付けできない。こんなときこそ、小さなゴムボートが出せる掃海部隊の出番である。

方や、海保の広報体制といえばwebサイトに写真を上げる程度だった。津波襲来時の映像をマスコミに公開したのもかなり時間が経過してからである。

関連エントリ:あの日から3ヶ月・依然として希薄な海保の存在感

今でこそ、続けられている捜索活動を報じるニュースが出てきてはいるが、国民も政治も主眼は復興に移り未だに捜索が続けられていること自体知る人は少ないだろう。それどころかこのニュースで、捜索活動が続けられていることを知って「税金も無駄」「直ちに打ち切れ」とまで言う人もいる。

東日本大震災:被災地で捜索続ける特殊救難隊員の気持ち 「奇跡の救助」潜水士に聞く

 東日本大震災から半年となった9月11日。海上保安庁の羽田特殊救難隊員(特救隊)の小山裕介さんは、厳しい訓練中に28歳の誕生日を迎えた。2009年10月には、伊豆諸島・八丈島(東京都八丈町)近海で転覆したキンメダイ漁船「第1幸福丸」(8人乗り、19トン)の船内から甲板員3人を奇跡的に救助した潜水士の1人でもある小山さんに、被災地での捜索や「第1幸福丸」の救出活動について聞いた。

 震災当日の11年3月11日、小山さんは横浜海上防災基地(横浜市中区)で、機材の整備をしていた。基地の改修工事をしている作業員に「揺れているから作業をやめて」と大声で叫んだという。翌日から被災地へ派遣されることに。着替えを取りに宿舎へ向かうが、停電で信号が動かないこともあり、いつもなら車で15分の道のりが1時間以上もかかった。室内に大きな損害はなかったが水も出ず、妻の真由美さんが「こわい」と言いいながら懐中電灯を手にしていた。「差し迫った危険はない」。そう判断した小山さんは、被災地の救助活動へ向かった。

 巡視船「やしま」(5300トン)で福島沖へ向かった小山さんたちを待ち受けていたのは大量の漂流物だった。木材、コンテナ、船、そして家の一部も流れていた。テレビの映像で大災害が起きたことは分かっていたが改めて「いつもと違う、すごいことが起きた」と実感した。小山さんたちは、漂流物に人が取り残されていないか、ひとつひとつ時間をかけて捜した。「人がいなかった時はほっとする気持ちもあった」。多い時は1日に10件以上捜索した。寄港しても、周囲はがれきと廃車で埋まり被災した陸上施設は十分に使うことはできなかった。4月1日、自宅で宮城県の気仙沼沖で犬が救出されたニュースが報じられた。「命あるものを助けたいと思うのが救助活動をする者の本能」と特救隊の同僚たちの活躍に、「自分たちの活動の一端を少しでも知ってほしい」と思うとともに癒やされるのを感じたという。


濁る海へ何度でも 不明者の海中捜索

東日本大震災から半年。津波に流された行方不明者の捜索が続く、宮城県沖の海中を撮影した。海上保安庁の潜水士らが活動する海は、泥や油が視界を遮り、家財道具や車などが散乱する


一見、もう無意味に思える捜索活動を続けているのは海保だけではない。警察も消防や自衛隊が撤収した後も、泥に埋もれた浸水地域などで捜索を続けた。そして、さらに自前の潜水部隊で水中捜索も行っている。

大震災、なお不明3900人超 警察は海中捜索強化

 東日本大震災は11日で発生から7カ月となる。警察庁のまとめでは、死者は計1万5822人。行方不明者は、青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉の6県でいまだに3926人に上る。最近は海で見つかる遺体の比率が大きくなっており、警察は海中、海岸を中心とした捜索に力を入れている。

東日本大震災:不明者発見へ県警、海中で大規模捜索 潜水、カメラで12日間 /岩手

 県警警備課によると、大規模な海中捜索は初めて。9月に発見された遺体11体のうち、海上からは10体にのぼる。ここ数カ月、遺体はほとんど陸上からは見つからず、海から発見されているのが実情だという。今回の海中捜索は宮古市の田老漁港から陸前高田市の高田松原まで漁港周辺を中心に南北約120キロにわたり行われる。

 初日の4日は大槌町の吉里吉里漁港で県警機動隊員14人と釜石署大槌交番の警察官3人が参加。午後1時過ぎ、捜索開始の合図とともに、酸素ボンベや重りなど約30キロの装備を背負い、機動隊のダイバー4人が岸壁から飛び込んだ。

 岸壁付近は水深2~5メートル。4人は一列になり、岸壁に沿ってゆっくりと進む。海中に沈む大きな鉄骨や壊れたアスファルトを一つ一つ目で確認した。別の機動隊員はゴムボートから水中カメラで捜す。約1時間かけて付近約250メートルの捜索を終えると、今度は漁港から少し離れた浜辺で捜索を再開。海中におろしたロープを中心に4人で水深約5メートルの海中に潜った。

不明者捜索、海に重点 岩手・宮城 9月の発見場所集中

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海中を捜索する岩手県警アクアラング部隊の隊員たち=4日午後、岩手県大槌町の吉里吉里漁港、相場郁朗撮影



岩手で海中の不明者を集中捜索 県警、6市町で12日間
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 初日の4日は大槌町の吉里吉里漁港付近を捜索。機動隊のダイバー4人が約3時間にわたり潜水し、ボートからも水中カメラで捜したが、遺体の発見はなかった。ダイバーによると、海底にはコンクリート片や建物の外壁、流木が山積しているという。


海保や警察が、税金の無駄遣いと言われながらもなぜ遺体捜索を続けるのか。その理由は、もちろん最後の一人にまで帰りを待つ家族の下へ送り届けたいという感情の部分もある。しかし、その背後には警察機関として、死亡したという事実を確認し犠牲者がどのようにしてなくなったのか明らかにしなければならない、ということもあるのだろう。基本的に消防レスキューも災害派遣の自衛隊も生存者を助けるのが目的だ。もちろん遺体捜索も行うが、それはあくまで「行方不明者」捜索の一環である。一方、警察や海保は単に助けるだけでなく、死亡認定まで行わなければならないのだ。

警察と海保による水中捜索は合同で行われることになり、来月初旬まで続けられるという。

潜水で水中捜索はじまる(宮城県)

県警と宮城海上保安部の合同による、東日本大震災の行方不明者の海中捜索が始まった。きょうは気仙沼市の杉ノ下漁港を中心に捜索したが発見には至らなかった。海中の合同捜索は県内の三陸沿岸で来月9日まで行われる。県によると、25日現在の県内の行方不明者は2008人。

震災不明者 ダイバーが水中捜索 あすから、ソナー活用

 県警機動隊と宮城海保がダイバー計16人を投入。不明者が数十人いるエリアや住民の要望が強い地点、がれきが漂着している海岸などで水中を捜す。ロボットやソナーなどの機器も活用する。
 捜索地点は26日が気仙沼市波路上の杉ノ下漁港、27日が宮城県南三陸町志津川の水尻川河口付近、11月1日は石巻市雄勝町の雄勝湾、2日は石巻市北上町や同市長面の北上川河口付近、6、7日は同県女川町石浜から桐ケ崎にかけての女川湾。宮城海保は、ヘリコプターなどで県内全域の海上も同時に捜索する。

(公的機関や地元漁船だけでなくNPOやボランティアダイバーも被災地で水上捜索・潜水捜索を行っている)

震災から半年以上が経過し、直接の被害を受けていない人々にとっては既に風化しつつあるようにも思われる。そうでなくても、話題に上がるのは復興や原発について、だ。

もちろん本屋に行けば、災害救助についての本もいくらか並んでいるだろう。しかし、その多くが自衛隊や米軍に関することである。言うまでもないが最大の勢力で最大の活動を行ったのは、確かに彼らだ。一方で、彼らの活躍に隠れほとんど話題に上らなかった人々もいる。いや、自衛隊や米軍の中にも注目されなかったが重要な役割りを担った人々がいる。
本ブログでは今後そうした人々にスポットを当てたエントリを作成する予定である。

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テーマ : 震災救援・復興
ジャンル : 政治・経済

tag : 海上自衛隊 掃海部隊 掃海母艦 掃海艇 水中処分員 海猿 海上保安庁 特殊救難隊 潜水士 警察

2011-10-27 : 東日本大震災 : コメント : 2 : トラックバック : 0
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No title
いつも非常に興味深い記事をありがとうございます。

記事の内容と直接関係なくて申し訳ないのですが、FC2ブログに移行されてから記事の画像が表示されないことがしばしばあるようです。
今回の記事では、最初の4点の画像のリンクが繋がっていないようです。

ご確認いただければ幸いです。
2011-10-27 09:52 : ぬぼ URL : 編集
Re: No title
コメント有難うございます。

こちらでは画像のリンク切れは確認できておりません。FC2は画像のサイズが大きいと表示が遅いときがあるようなのでリロードするなどお試しください。
2011-10-27 18:28 : 蒼海管理人 URL : 編集
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