引っ越しで貴重資料を、海底で生命誕生の秘密を見つける海洋情報部

海上保安庁の施設から「お宝」が出た、というニュースが先月報じられていた。
埋蔵金や石油が出たわけではない。歴史的資料という意味で、極めて貴重な「お宝」が発掘された。

海洋情報部の「倉庫」から、である。

いや、貴重なのは分かるが、「何度目だ」と思っている人もいただろう。

ちなみに発見されたのは、日本最初の海図やペリー艦隊の測量図、さらには軍機海図などである。

日本初の水深図発見=機密海図やペリー測量図も-海保倉庫から、公開へ

 海上保安庁の東京都中央区の施設から、日本初の海図に使われた明治初頭の岩手県釜石港の水深図や、昭和初期の商船の交通量を示す旧日本海軍の機密海図などの歴史的資料が大量に見つかった。
 同庁海洋情報部の移転に伴い、財団法人「日本水路協会」が2010年度から資料を整理する中で発見し、約1万3500点をデジタルデータ化した。海洋情報資料館(東京都江東区)で25日から閲覧できる。特に貴重な約190点はインターネットで公開する。

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日本最初の海図である『海軍水路寮 第一号海図 陸中國釜石港之図』

この海図第一号については海洋情報部で解説されている。

「海図」第1号は?

記念碑が平成6年に設置されていることから、今回発見される以前から同じものを持っていたのだろう。まぁ、海図だから当然だろうが。

この記念碑、釜石市の大観音広場に設置されているというが、震災で周囲の風景や海底地形、水深がどれだけ変わってしまったかと思うと複雑な気持ちになる。

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商船交通量を示した軍機海図

日本初?の水深図発見 明治の釜石港、公開へ

 海上保安庁の東京都内の施設から、日本初の海図の基になった明治初頭の岩手県釜石港の水深図など歴史的資料が多く見つかったことが19日分かった。海保は「この水深図も日本で初めてとみられる」としている。

 海保によると、釜石港の水深図は「日本の海図の父」とされる旧海軍初代水路局長の柳楢悦らが、1871(明治4)年に測量。この水深図を基に日本初の海図が刊行された。

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ペリー提督らが作成した東京湾の測量図か、その写しとみられる図


発見された経緯や他の貴重資料については日本財団ブログで紹介されている。日本財団は海洋情報部と日本水路協会による大掃除倉庫資料整理を支援し、電子化も助成している。今回発見された資料の中でも特に貴重なものが5つあげられている。

日本初の水深図など歴史的資料 海保倉庫から多数発見

資料整理を担当した水路協会の熊坂文雄調査研究部長によると、今回見つかった中で貴重な資料は①明治5年9月と10月に刊行された釜石港海図、宮古港海図の基になった日本海図の父といわれる柳楢悦らが測量したといわれる銅板の釜石港水深図(明治4年9月)と宮古港水深図(同年8月)②関東大震災後に海上保安庁が実施した相模湾の状況を示す水路要報③ペリーが1853年に測量し、米国で出版された東京湾の海図④手書きの古地図(江戸時代前期に作成された伊勢国割地図を基に描かれ、その後携帯用地図の基図に使われたものらしい)⑤明治24年刊行の「天図」(全天球の季節ごとの星座の位置を記入し、夜の航海に使用する)、大正8年刊行の「星図」(星や星雲などの位置、明るさなどを平面に描いたもの)―などがある。

いくつかは上記記事でも掲載されていたものだ。

ちなみに、②の「関東大震災後に海上保安庁が~」のくだりは海軍水路部の間違いだと思われる。海保が測量すればどの時代であっても「関東大震災後」なわけだが、その直後の文章で「測量艦」とある。

このうち関東大震災の直後の相模湾については測量艦松江、武蔵など4隻が鉛を使った錘測という方法で調査した。最高で250メートル隆起する一方、300メートルも沈下した場所もあり、巨大地震によって同湾の水深がかなり変化した実態が赤と青の数字で記されている。



これらの資料は電子化され一部はインターネット上のwebサイトでも閲覧可能だ。

海図アーカイブ

今回、公開された資料の中には復元されたものの海図のように電子化されなかった、いや、できないものがある。

それは、カールツァイス社製「ステレオ・プラニグラフC5型」一級測量図化機だ。

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復元された測量用一級図化機(左が熊坂さん)

1月19日付の海上保安新聞1面で詳細に紹介されていた。

図化機というのは、2枚の航空写真から等高線や道路などを作図する機械で特に精度の高いものを一級図化機としているという。このC5型機は高さ約2メートル、幅約1.6メートル、奥行き約2メートル、重さ約1トンの鉄製。

旧庁舎倉庫で発見された同機は、昭和15年に潜水艦によってドイツから輸入され、戦中は戦火から逃れるために各地に疎開していたという。戦後、水路部(現在の海洋情報部)が2回ほど使用した記録が残っているが、安価で使いやすい同等機の普及により解体され倉庫に保管されていたらしい。今回「発見」されたことにより日本財団の助成金を使って復元されることになった。部品の洗浄や組み立てを担当したのは測量機器販売の「サンケーエンジニアリング」は設計図がない状態で経験や勘を駆使して組み立てたという。

C5型機は今回復元されたものとドイツの1台しか現存していないとのことだ。


ちなみに、どうしてこの海洋情報部の「宝物殿」が御開帳になったかというと、庁舎が引越したからに他ならない。

海洋情報部庁舎の移転について

海上保安庁海洋情報部 新庁舎披露会

海上保安庁海洋情報部の新庁舎訪問

移転に伴って資料整理が行われ、その際に発見されたものや、新庁舎に併設される海洋情報資料館に展示するために復元整理されたのである。この資料館にはC5型以外にも潮候推算機と呼ばれる貴重な機械が展示されている。

測量・地図の展示館

実はこの庁舎、移転直前に東日本大震災で火災被害の憂き目に遭っている。都内の被害映像として繰り返し放映されたため建物そのものは覚えている人もいるかもしれない。

関連エントリ:海上保安庁海洋情報部庁舎(仮称)も被災か

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海上保安庁などによると、11日に東北地方を中心とした大規模な地震で、同庁の海洋情報部などが移転を予定していた
建設中のビル(東京・江東)で火災が起きているとの情報がある。同庁は今後、情報を確認する方針だ。

移転後に火災になり貴重資料が被害にあっていたらと思うと、ぞっとする。もっとも火災原因は工事機材だろうからその危険性は低かっただろうが、想定外の自体が起きたのが先の震災である。


さて、冒頭で「何度目だ」といったのは、実はこの海洋情報部の倉庫、度々貴重資料の「発掘」が行われているからだ。
掃除や倉庫の整理をするたびに「発見」されていたのだろう。
「伊能図」や「戦前の航空写真」、「戦中の高度方位暦」・・・まだまだあると思っていたが、今回の引越で総決算となったわけだ。

幻の伊能忠敬「伊能大図」4枚、海上保安庁の倉庫で発見(TBS news-i 2004/7/1 記事消滅)

 江戸時代の測量家、伊能忠敬が作った最古の日本地図の模写のうち、これまで所在が分からなかった4枚が、海上保安庁の倉庫から見つかりました。

 見つかったのは、江戸時代に最初の日本地図を作った測量家、伊能忠敬による「伊能大図」の模写4枚で、北海道の「宗谷岬」や今の京都・大阪周辺の「山城摂津河内」などの地図が 描かれています。
 
 これまで全く所在が分からず、幻の4枚と言われていましたが、東京・築地の海上保安庁の倉庫から 今年5月、見つかりました。「伊能大図」は214枚からなる最も古い日本全土の地図ですが、原画のほとんどは明治初期の火災で焼失していて、模写の大半が アメリカの議会図書館に保管されています。



約70年前の東京を収めた航空写真地図発見・現存最古か(日経 2004/7/3 記事消滅)

 東京区部のほぼ全域を撮った昭和8年(1933年)刊行の航空写真地図「大東京鳥瞰(ちょうかん)写真地図」が、このほど海上保安庁で見つかった。
これほど広範囲を収めた航空写真地図は、現存では日本最古とみられる。今はビジネス街の皇居東側には文部、大蔵、内務の各省が並んでいた。



海保所蔵の「伊能地図」模写図、原本に最も近いと確認(読売新聞2007-02-02)

江戸時代後期の測量家、伊能忠敬が作成した「大日本沿海輿地全図」の写しのうち、海上保安庁が所蔵する大図(縮尺1/3万6000)の模写図3枚が、最も原本に近いとみられることが確認された。

調査を行った同庁海洋情報部と「伊能忠敬研究会」が2日、発表した。



この「高度方位暦」にいたっては、倉庫内の本棚に積まれてあったというのだから凄いんだか酷いんだか・・・

戦時中の高度方位暦を海上保安庁の倉庫から発見 一般公開(山梨日日新聞 2010/8/14 記事消滅)

第2次世界大戦中、海上で現在地を特定するために、天体の高度を記した「高度方位暦」を山梨大大学院医学工学総合研究部の高橋智子准教授が、東京都中央区の海上保安庁の倉庫で発見した。

これまで戦時中の高度方位暦について記された資料はあったが、存在が確認されたのは初めて。

高度方位暦は14日から上映される県立科学館のプラネタリウム番組「戦場に輝くベガ-約束の星を見上げて」にも登場していて期間中、同館で一般公開する。

見つかったのは、1944年6月~45年9月に刊行された11冊。同庁前身の海軍水路部が作成したもので、日本軍の基地別に、太陽や月、星の高度が20分間隔で記されている。緯度別の3冊もある。

高橋准教授によると、戦時中、航空機の偵察員は「天測略暦」と「航空天測表」を用いて、海上の位置を特定していた。ただ、計算に時間がかかる上、計算ミスで帰還できなかったケースもあるという。

高度方位暦は、基地を基準にこの二つを用いて計算し終えたデータ集。現在地特定までの時間が短縮される一方で、基地から離れるほど精度は低下する。航空機の帰還用に作られたものだが、実際に使用されたかは確認されていない。

52年刊行の同庁水路部の80年史に高度方位暦の存在が記されていたが、実物は見つかっていなかった。戦争と科学の歴史について研究している高橋准教授が、同庁海洋情報部の倉庫の本棚上部に積まれているのを発見した。

高橋准教授は「刊行順に並べてみると、基地の数が少なくなり、位置も本土に近くなっている。戦況が厳しくなっていることが読み取れる」と話している。

「戦場に輝くベガ-」は2006年に制作された同館オリジナル番組。高度方位暦を作る女学生と爆撃機の偵察員との手紙のやりとりを軸に、戦争の悲惨さを描いている。今年は14~17日午後5時15分から上映。期間中に高度方位暦を一般公開する。

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【旧海軍:「高度方位暦」発見 自機の位置割り出す早見表】

初めて実物が確認された「高度方位暦」=甲府市武田の山梨大で、小林悠太撮影



だが「あの倉庫が、最後の一つだとは思えない・・・」


ちなみにこうした古い海図と海保海洋情報部が作成した最近の海図をあわせて地元に寄贈したりもしているという。

徳山港:海保が今昔図寄贈、周南市に 伊能忠敬作製も /山口

今年の徳山港開港90周年を記念して、徳山海上保安部が16日、江戸時代から現在までの同港周辺の地図3枚を収めたパネルを周南市に寄贈した。パネルは市長室に飾る。

 江戸時代に日本で初めて実測による日本地図を完成させた伊能忠敬が作った1806(文化3)年の同湾周辺の図と、1919年の海図、昨年作成した5万分の1の海図の3枚を縦90センチ、横125センチのパネルにした。

ただ、市長個人や役職に対して送ったのではなく市と市民に対してのものだから、市長室という見ることの出来る人が限られた場所ではなく、もっと広く市民が見ることの出来る場所に展示すべきだろう。日本国民の財産なのだから。


言うまでもないが、海洋情報部が様々なものを「発見」するのは倉庫だけではない。本当の意味ではこちらのほうが「発見」である。

マントル物質から栄養取る貝=マリアナ海溝で発見-「生命誕生の手掛かりに」・海保

 海上保安庁は7日、世界で最も深いマリアナ海溝チャレンジャー海淵の北東約80キロの水深5620メートルの海底で、貝の一種がマントル物質から栄養を取って生息しているのを発見したと発表した。調査結果は米科学アカデミー紀要電子版に掲載される。
 同庁海洋情報部の小原泰彦上席研究官は「地球上でどう生命が誕生したかを解明する手掛かりになり得る」としている。

シロウリガイの大規模集団を発見 グアム島南西沖のマリアナ海溝

 海上保安庁海洋情報部は7日、深海に生息するシロウリガイの大規模集団が、グアム島南西沖のマリアナ海溝で見つかったと発表した。生命の起源を知る上で手掛かりになるとしている。シロウリガイは、日光が届かない深海の湧水域に生息する二枚貝。マリアナ海溝では、地球内部のマントルと呼ばれる岩石が露出する水深5620メートル付近の湧水域で見つかった。マリアナ海溝や、マントルの湧水域でシロウリガイが発見されたのは初めて。調査は静岡大学などと共同で2010年9月に、海洋研究開発機構(神奈川県横須賀市)の有人潜水調査船「しんかい6500」で実施した。


こちらも2月16日に海上保安新聞の一面を飾った。記事では海洋情報部が今回の発見の意義を説明している。

①シロウリガイ類の生物地理学的なこれまでの理解を刷新
②マントル物質に生じる湧水系が大規模なバイオマスを保持できることを示した
③同湧水系が世界の海底に想像以上に存在している可能性を示した
④海底熱水や湧水系の活動が、海洋や大気の化学組成成分の全体収支にどのくらい影響を与えるのか再検討することを提示した

なぜ今回の発見が生命誕生のメカニズムを明らかにする可能性があるのかというと、マントルを構成するカンラン岩が水と反応し蛇紋岩に変成される際に放出される水素とメタンが、シロウリガイ類体内の共生菌によって生命活動のエネルギーにされているからで、この蛇紋岩化作用に伴う水素発生が約40億年前の原始生命誕生に関連していると考えられているからだ。

つまり40億年前の生命誕生と同じ状況を、確認できたことになる。

今回の調査と発見は海洋情報部のほかJAMSTECや静岡大と共同で行われた。日本の海洋科学におけるひとつの功績となるだろう。




そして、海底地震・地殻変動の観測も重要な任務だ。東日本大震災以降その重要性も注目度も高まってきている。
海洋情報部自身も引っ越し先が火災にあい、各地の関連施設が被災するなどの被害をこうむったが、直後から緊急測量を実施。

東日本大震災における海洋情報部の対応

派遣された測量船は「昭洋」「拓洋」「明洋」「天洋」「海洋」で、海保の大型測量船全船投入となった。
連日被災港湾を測量し港湾機能を回復させることによって支援物資受け入れを早めた。また沿岸部から流された瓦礫や漂流物の位置予測を実施。漂流船の回収や航路障害物の除去に役立てた。これらには海上保安庁だけでなく海上自衛隊や国土地理院の協力もあった。その後は、復興にも役立てるために変化してしまった海底の調査測量と海図の改正を行っている。

震災後の小名浜港 航路付近で最大7㍍深く

 震災の津波被害により、被災した港湾では岸壁の崩壊や水深に変化が生じている。
 同庁では航海の安全を確保するため、同庁海洋情報部所属の測量船「天洋」(総トン数430㌧)「海洋」(同550㌧)を使い、昨年5月から3カ月間、小名浜港の航路や岸壁付近で精密な水深測量を実施した。
 その結果、三崎航路では4~7㍍深くなり、中央航路付近も大きくえぐれ、最大で6㍍深くなったことが確認された。同本部では「水路が狭いため、津波の流れが強くなったのでは」と分析しており、他の港でも同じ傾向がみられたという。このほか岸壁の多くで浅くなっている部分があり、4、5号ふ頭間の一部では最大5㍍にもなる。また、異状物も多く確認されているが、測量船の船底から海底に向けて超音波を送ることで水深をデータ化し、直接視認していないため、異状物が何かは分かっていない。




これらの対応でもっとも大きく報じられたのは今回の地震による海底地殻変動の観測だろう。

そして、原発事故においても沿岸部の海水サンプリング活動を継続して実施している。

これらの動きは今後別のエントリで詳しく取り上げたい。



今年に入ってからは海底地殻変動観測強化のために海底基準局の増設が行われている。

南海トラフにおける海底地殻変動の観測を強化~海底基準局を搭載した測量船が出港~

海底地殻変動観測点を倍増 南海・東南海の震源域カバーへ 海上保安庁

 海上保安庁は、海底の地殻変動を観測するための「海底基準局」を南海トラフ沿いに新たに8地点増設することを決めた。同トラフ沿いの基準局は従来の7地点から15地点になり、将来発生が予想される東海、東南海、南海地震の想定震源域をほぼカバーできる。海底観測や地震予測の向上に効果が期待される。

 海保によると、新たに設置するのは、東南海地震の想定震源域に2カ所、南海地震の想定震源域に4カ所、さらに同トラフ西端の日向灘に2カ所。うち4カ所はすでに設置されている基準局の陸側で、残りは空白地帯だった。

 設置作業は1、2月に実施。底引き網に引っかからないよう、水深1千~2900メートルの平らな海底を選び、高さ1メートル、直径80センチの円筒形の装置を1カ所につき3、4個設置する。

 海底の地殻変動の観測は、海保の測量船を使って行う。測量船の位置を複数の衛星利用測位システム(GPS)で正確に特定したうえで、測量船から海底基準局に向けて音波を発射し、反響で距離を計測。これを繰り返すことで、基準局の位置の変化をセンチ単位で観測する仕組みだ。

 大震災後の観測で、震源のほぼ真上にあった基準局は東南東に約24メートル、この基準局から陸側に約50キロ地点の基準局は約15メートル移動したことが判明している。海上保安庁海洋情報部は「今回の基準局の増設で面的な観測ができるようになる。過去のデータと合わせ、南海、東南海などの地震の予測に生かすことができれば」としている。

海保、海底地殻変動の観測強化 「基準局」8カ所増設へ

 海上保安庁は、海底の地殻変動を観測するため海底に設置している機器「海底基準局」を、東海沖から日向灘までの南海トラフ周辺の海底に8カ所増設する作業を始める。海保は「東海、東南海、南海地震の想定震源域全体をカバーできるようになる」と説明。地震メカニズム解明や予測精度の向上が期待される。

海底地殻変動の観測強化=海保

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海上保安庁は、南海トラフ付近の海底地殻変動の観測を強化する。
同庁の測量船「拓洋」と「明洋」が24日に東京を出港、
観測機器(写真)の設置海域を現在の7カ所から15カ所に増やす
=港区に接岸中の「拓洋」で


海底基準点の設置は今後さらに来るべき大地震に備えてのものだが、地殻構造の探査は地震対策だけでなく日本の海洋権益確保にも役立っている。

また、今後導入されるエクスプローラーAUVもこうした活動に大きく貢献することだろう。

関連エントリ:海上保安庁がエクスプローラーAUVを導入!・・・一方、国産AUVは


「拓洋」と「明洋」が海底基準点の設置を行っている一方、「昭洋」は大陸棚の地殻探査のために海底地震計の設置を行っていた。しかし、ここで中止を要求されたのである。因縁深き「海監」によって。

中国船、日本のEEZで海保船に調査中止を要求

 海上保安庁は19日、同日午後7時半頃、沖縄県久米島の北北西約170キロ沖合の日本の排他的経済水域(EEZ)で、海洋調査をしていた海保の測量船「昭洋」が、中国国家海洋局所属の「海監66」から無線で調査の中止を要求されたと発表した。

 同庁によると、中国船は昭洋の約550メートルまで接近した上で、「中国の法令が適用される海域だ」と調査の中止を要求。

 これに対し、昭洋は「日本のEEZ内であり、正当な調査だ」と回答し、中断の必要はないとして海洋調査を続けている。中国船は5時間たった20日午前0時半現在も、昭洋から約15キロ離れた海域にとどまっているという。

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tag : 海上保安庁 海洋情報部 測量船 JAMSTEC 東日本大震災

2012-02-24 : 海上保安庁 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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